見ると泣いてしまうコピペ(´・ω・`)

↓BGMにどうぞ↓

【I NEED TO BE IN LOVE】
Carpenters
【ありがとう】
KOKIA
【ロマンティックあげるよ】
中川翔子
【Tears in heaven】
Eric Clapton

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:36:09.32 ID:6pvaDdG80
貼って

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:39:50.11 ID:6pvaDdG80
一月 今年も始まったばかりだし、二月から本気出す
二月 なんか二月短いし、三月から本気出す
三月 春休みの学生ウザいから、四月から本気出す
四月 あんなに頑張って咲いた桜も散ってさみしいから、五月から本気出す
五月 俺って五月病らしいから、六月から本気出す
六月 雨降って鬱陶しいから、七月から本気出す
七月 大好きだったアニメが終わっちゃって寂しいから、八月から本気出す
八月 甲子園観ると欝になるから、九月から本気出す
九月 残暑がウザいから、十月から本気出す
十月 野球が終わって清々したから、十一月から本気出す
十一月 部屋に篭って勤労感謝しなきゃならんから、十二月から本気出す
十二月 今年も終わりだし、来年から本気出す

15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:47:22.80 ID:qAnQlSDO0
774 :大人の名無しさん :04/06/03 22:33 ID:K+cG6zAd
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると
会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!


775 :大人の名無しさん :04/06/03 22:48 ID:K+cG6zAd
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!


16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:47:40.26 ID:qAnQlSDO0
776 :大人の名無しさん :04/06/03 23:06 ID:K+cG6zAd
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!


777 :大人の名無しさん :04/06/03 23:15 ID:K+cG6zAd
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。




17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:47:40.57 ID:6pvaDdG80
アルバイトなんてしなくてもスロットで食えるって。
今日、スロット行こうとしたけど金がなかったので、母親の財布から
金パクろうと思って開けたら、10年前の母の日に俺があげた肩たた
き券が大事そうに入っていた。
俺は泣きながら2千円を抜き取った。


18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:49:08.33 ID:0SnjtdHH0
「犬との十の約束」

1.私の一生は10〜15年くらいしかありません
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです
私を家族に迎える前に、どうかそのことを考えて下さい

2.あなたが私に望むことを理解できるようになるまで、少し時間をください

3.私を信頼してください。 私にとって、それがいちばん大事なことなのです

4.私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい
貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう
でも...私には貴方だけしかいないのです

5.時々は私に話しかけてください。 あなたの言うことはわからなくても、 私に話しかけるあなたの声はわかるのです

6.あなたが私にどんな風に接しているか、私は決して忘れません

7.私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど私は決して噛まないようにしていることを

8.私のことを言う事を聞かないだとか、頑固だとか、怠け者だとか叱る前に、まずは自分に問い掛けてみてください。 きちんと食事を与えてましたか?太陽の下に長く放置しておきませんでしたか? もしかすると、年をとってどこか弱っているのかもしれません

9.私が年をとってもどうか世話をして下さい。貴方も同じように年をとるのです

10.最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい
「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます

そして......どうか忘れないで下さい
私が貴方を愛していることを

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 16:50:15.83 ID:6pvaDdG80
俺、死ぬ前に小学生の頃を、一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ
空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり〜」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…そして、死にたい

31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:07:53.48 ID:14HCdZRS0
ベトナム戦争から家に帰る前夜、青年兵士は自宅に電話した。
「明日帰るんだけど、他に行くところがない友達を連れて帰りたいんだ。
家で一緒に住んでもいいかな?」
息子の帰還報告に狂喜した両親は、勿論!と泣きながら答えた。
「でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだ。
彼は地雷を踏んでね、腕と足を失ってしまったんだよ。
でも、僕は彼を家に連れて帰りたいんだ。」
その台詞に、両親は押し黙ってしまった。
「数日ならいいけれど、障害者の世話は大変よ。
家にいる間に、そのお友達が住める所を一緒に探しましょう。
あなたにも私たちにも自分達の人生があるのだから、
そのお友達 の世話に一生縛られるなんて無理よ。」
やっとのことで母親がそれだけ言うと、息子は黙って電話を切った。

翌日、警察から電話があり、青年兵士の両親は
彼がビルの屋上から飛び降りて死んだことを知らされた。

死体と対面した両親は絶句し、泣き崩れた。

32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:08:26.06 ID:0SnjtdHH0
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた

41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:15:14.19 ID:0SnjtdHH0
82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/06/01(金) 14:29:08.36 ID:tpvHMnUj0
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら50万もはいってましたよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

渡されるとき変だな変だな〜って思ってましたよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

1万円でも漏れには大金なのに50万て何事ですか。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよでもな、ばあちゃん何やってんですか。
(゚Д゚)ゴルァ!

50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか。
(゚Д゚)ゴルァ!

曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

ばあちゃん、体きついって頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか。
(゚Д゚)ゴルァ!

ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:15:35.33 ID:0SnjtdHH0
84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/06/01(金) 14:29:51.79 ID:tpvHMnUj0
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

田舎にも帰らず28P300円でホモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ四年ぶりに会ったばあちゃん、
ちっちゃくなって声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

医者いってください、整体いってください、頼むから!頼むから、ばあちゃん!
「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか。
(゚Д゚)ゴルァ!

「あんたが生きててくれて嬉しいん。このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って。
(゚Д゚)ゴルァ!

ばあちゃん
(゚Д゚)ゴルァ!

自分どうすればいいですか。
(゚Д゚)ゴルァ!

結婚資金どころか相手もいないですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:15:55.15 ID:0SnjtdHH0
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/06/01(金) 14:30:37.86 ID:tpvHMnUj0
使えません、使えませんよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

受け取っちゃったんで返せませんよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

かえしたらばあちゃんきっと悲しむでも返したいですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れはどうしたらいいですか。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れは悪い孫ですよ、ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ、四年も田舎に帰らなかった自分ですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか。
(゚Д゚)ゴルァ!

手の骨とかポキンて折れそうですよ。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れにはなんてことのない四年だったけどばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな。
(゚Д゚)ゴルァ!

ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ。しんじゃいやだよう。ずっと生きてて漏れに孝行させてください。
(゚Д゚)ゴルァ!

漏れに背中もませてください。手つないで坂道歩かせてください
(゚Д゚)ゴルァ!

44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:16:10.58 ID:0SnjtdHH0
88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/06/01(金) 14:31:25.33 ID:tpvHMnUj0
ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう!まだばあちゃんまだ連れてかないでください。
(゚Д゚)ゴルァ!

次の休みは年末だ。
(゚Д゚)ゴルァ!

祭りにはいかねえ。田舎に帰るよ。ばあちゃん待っててな。
(゚Д゚)ゴルァ!

いっしょに温泉行こうな、漏れ少ない給料がんがってためるよ。
(゚Д゚)ゴルァ!
(゚Д゚)ゴルァ!
(゚Д゚)ゴルァ!

52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:21:06.77 ID:qAnQlSDO0
232 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/04 09:56:54 ID:qvhak+dx


俺は高校までずっと都立で給食だったし、大学も学食やらコンビニやらで
済ませて来た。
母親の手作り弁当の記憶なんて、運動会か遠足、それも遠すぎて覚えてない。
就職しても、社食が当たり前で妻も俺に弁当を作ったことはない。
俺自身も、弁当箱持って歩くのも荷物になるし弁当への思い入れも何もなかったある日
今年中学生になった娘が、「はい。オヤジさん(←娘は俺をこう呼ぶ)」と
バンダナで包まれた弁当箱を手渡した。
「なんじゃ?これ?」と俺が言うと
「だって、今日オヤジさんの誕生日じゃん」と・・・・。
俺、絶句。
「何だ、お前弁当作ってくれたのかよ。食えるのか?」と、恥ずかしさのあまり悪態をついてしまった。
だが、娘は「一生懸命、早起きして作ったよ」と笑顔だった。
素っ気無い顔しときながら、気になって弁当箱の中身を会社について確認したら
ご飯には、鮭フレークでハートが描いてあった。
おかずはハンバーグと、ウインナーと、ベーコンポテト。俺の好きなチーズも入っていた。
胸が詰まった。
2450グラムと小さく生まれてきた日のこと、夜中熱を出して夜間診療所に駆け込んだこと
運動会の徒競走で転んだこと、父の胸に幼い日の娘の姿がよぎる。
あいつ、こんなに大きくなりやがって。
食べた弁当の味は、しょっぱい、勿論俺の涙の味だ。



53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:22:16.03 ID:a3gkzfRXO
母さん

いつも笑ってくれる母さん
いつも参観日に来てくれる母さん
いつもお弁当作ってくれる母さん
いつも僕のためにお金を工面してくれる母さん
いつも余計なお世話を欠かさない母さん
いつも体調の悪さを隠して頑張る母さん
いつも手料理を作ってくれる母さん
いつも黙って僕の洋服を洗ってくれる母さん

母さんはいつもいつも僕のために何でもしてくれたね
でもね…母さんはいつまでも母さんじゃないって、死んでからようやく気がついたよ
どうしてあの時、「ありがとう」って言えなかったんだろう…後悔しても遅いのにね…

母さん…今までありがとう、そしてお疲れ様

54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:23:44.14 ID:qAnQlSDO0
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:24:07.77 ID:0SnjtdHH0
俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。
それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。


先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。
モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。
「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(俺)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。


57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:24:59.23 ID:qAnQlSDO0
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、
そのうちメモリがいっぱいになったらしくてメカ音痴な母は
「ねえ、これ写らなくなっちゃったんだけど…」
と遠慮気味にメールしてきたけど、俺は面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 
  忙しいからくだらないことでメールするなよな!」
と罵倒返信してしまった。

その母が先日事故で亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、
なんとなしに撮ったものを見てみた。
俺の寝顔が写っていた。
涙が出た。


58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:26:35.08 ID:nKK5tK0o0
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:29:40.87 ID:nKK5tK0o0
アルゼンチンのプロゴルファー、ロベルト・デ・ビンセンツォは、
あるトーナメントで優勝し、賞金の小切手を受け取って帰る準備をしていた。
彼が一人で駐車場に向かっていると、一人の女性が彼に話しかけてきた。

彼女は彼の勝利をたたえた後、自分の子供は重い病気にかかって死に掛けているが、
お金がないために、医者に見せることもできないのだと彼に伝えた。
それを聞いて哀れに思ったビンセンツォは
「これが子供のために役立てば良いのだけど」
といって、獲得したばかりの賞金の小切手を彼女に握らせた。

翌週、彼がカントリークラブで食事をしているとテーブルにゴルフ協会の職員がやって来た。
「先週、駐車場にいたやつらが、
君がトーナメントで勝った後、そこで若い女性に会っていたといっていたが・・・」
ビンセンツォはうなずいた。「実は」と職員は続けた。
「彼女は詐欺師なんだ。病気の赤ん坊なんていないんだ。結婚すらしていないんだよ。君はだまされたんだ」
「すると、死に掛けている赤ん坊なんていないのか?」
「そのとおりだ」
すると、ビンセンツォは笑いながらこう言った。

「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」

61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:31:04.83 ID:dFqTVHon0
中学の時、英語の辞書忘れたから隣の女子のを共同で使わせてもらった。
家も近所だし気さくで話しやすいやつだったもんで、
彼女が見てない隙に、ふざけてその辞書の「vagina」の項を○で囲んでやった。
…あれから10年以上が経ち、そんな事ずっと忘れてた。

盆休みで実家に帰省
盆休みで実家に帰省して仕事の整理をしてた時の事。
英語の辞書が必要になって、中学時代のを探し出して使った。
そしたら憶えの無い落書きをみつけた。
「penis」が○で囲んであって余白に「お返しだバーカ昼休みに図書室で待つ」と書いてある。
それで思い出した。
あの時あたりからだったか、彼女は昼休みになると真っ先に教室から出て行くようになった。
俺は「何委員だか知らないけど忙しいんだなぁ」なんて思ってた。
中学最後の昼休みも、彼女は教室にいなかったっけ…。




嫁にそれ見せたら顔真っ赤にして「今頃みつけるな!」だって。


62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:32:31.24 ID:nKK5tK0o0
今日はお腹の赤ちゃんと家で過ごす最後の日。
何より大切で誰より愛しかった。初めて人の命が大事だって思えた。
なのに産んであげることできなかった。
ダメなママで本当にごめんね。
先生に無理言って最後のエコー見せてもらったら、
小さな身体全部で一生懸命頑張ってとっても大きくなってたね。
ママ本当に涙が止まらなかった。心から嬉しくて誇りに思えたよ。

いまどんな夢見てるのかな。どうかせめて最期まで幸せな夢を見ていてほしい。

このあいだ一緒に見た盲導犬クイールの映画、感動したね、
天国でクイ-ルに会えるといいね。きっとぺろぺろ舐めてくれるよ。
いつか私が抱っこしにいってあげられる日まで少しだけ、待っててね。
絶対に、会いに行くよ。どこにいても探し出してみせるよ。
でもママ地獄に行っちゃうかもしれないけど…そしたら代わりにママの妹分の
わんこにベビを守ってくれるようにってお願いするから。
どうか寂しい思いだけはしないように…。

66 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:37:55.38 ID:nKK5tK0o0
今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、
私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。

兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが
それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。

初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり
宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。
友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれたと、
わがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、
こんなんじゃない、お母さんに会いたいとと兄をなじってしまった。

兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、
兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣きそうになる。

70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:39:07.00 ID:nKK5tK0o0
>>66続き

その兄が、一年前両親と同じように事故で突然この世を去った。
兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時よ り一才年上だった。
兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと、
それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。

兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。
恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。
たくさんたくさん、ごめんなさいとありがとうも言えないままだった。

「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、
兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。

もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、
恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。

お兄ちゃん、天国で見ててね。
今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな 。

76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:42:19.97 ID:nKK5tK0o0
長年一緒に育ってきた犬。
なんだかちょっと元気なさそうだったんで、普段は外に繋いでるのに
その夜は部屋に上げてやったんだ。
大喜びではしゃいで元気いっぱいに喜んでたのに、朝起きたら冷たく
なってやがんの。

心配させまいと思って無理してたんだろうなぁ。
お前、辛かったら辛いって態度を示してくれよ。
俺はわかんねぇよ( ´Д⊂ヽ


限界。

80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:44:59.22 ID:nKK5tK0o0
母は、僕を女手一人で育てた。
僕の幼かったころに、亡くなった父は、マンションの10階を母に残した。
そのマンションからは、夏に花火をみることができる。

父と母が過ごした街の花火。
毎年花火の時には、窓際にテーブルを移動して、母と一緒に父を偲んだ。
花火はいつもきれいで、母はうれしそうだった。
父は、母に素敵なものを残したなっと思った。

でも、それは長くは続かなかった。
僕が高校の時に、うちのマンションの前に、もっと高層マンションが建設されたのだ。
僕は、景観が悪くなるなぁって、思ってた。

その年の花火の日、いつものように、テーブルを移動して準備してた。
花火みれるかな?って、心配だった。

花火みれなかった。見事にマンションで見えなくなってる。
音だけの花火。
あんなに悲しそうな母の横顔を見たことがない。

僕は、母を連れて、川辺に歩いていった。
母と見上げた初めての花火。

父さん、心配するな。これからは僕が母さんを笑顔にする。

87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:48:45.12 ID:nKK5tK0o0
この前飼い猫が病気になったんですよ、末期のね。で、生まれて初めてペットロスを経験したわけですわ。
正直最初はペットロスって軽いもんだと思ってたのよ。動物飼いならみんな普通に経験してるからさ。

あのね、俺が間違ってた。あれは人が経験するもんじゃない。冷血人間だね、冷血人間だけが耐えられるものだよ。
最初に「安楽死承諾書」出された時さ、めちゃめちゃびびってペンそろ〜って持ってそろ〜っと名前書いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって消すどころか承諾書破り捨てちゃったのさ。

そしたら飼い猫がさ「苦しいよ」とか目で訴えてくるの。同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。だから名前書いたのさ。
えぇ、そりゃもう書きましたとも。全てを忘れて書いたよ。

家に迷い込んできた時のヤツの心もとないほどガリガリだった体とか、
初めて膝で寝てくれたときにホントに嬉しかった事とか、
エサをねだる時の愛らしい顔とか色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だってヤツが苦しいって訴えてたからね。そしてらエライ事になった。

もうすごい即死。そして俺のすごい涙。幅3cmくらい。昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い猫がすごい安らかな顔を俺の方に向けてんの。
ホントごめんなさい。

正直「飼い主なら苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」
なんて見栄張らないで素直に最後まで悪あがきしてやればよかった、
せめて自然に任せて死なせてやればよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインした事を後悔したね。

でも埋葬が終わって友達に「猫はさっさと死んじまうな!これだから猫は。
今度は長生きするカメでも飼うか」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。

97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:52:15.00 ID:nKK5tK0o0
>>87猫視点

この前病気になったんですよ、末期のね。で、生まれて初めて飼い主との別れを経験したわけですわ。
正直最初は別れって簡単なもんだと思ってたのよ。野良猫時代は普通のことだったからさ。

あのね、俺が間違ってた。あれは猫が経験するもんじゃない。冷血動物だね、は虫類だけが耐えられるものだよ。
最初に動物病院に入った時さ、めちゃめちゃ痛くて脚そろ〜って動かしてそろ〜っと尻尾ひきずったのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか体が動かなくなって診療台の上でへたりこんじゃったのさ。
そしたら飼い主がさ「苦しいのか」とか目で訴えてくるの。同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。

だからニャーンて鳴いたのさ。えぇ、そりゃもう鳴きましたとも。
全てを忘れて鳴いたよ。家に迷い込んだ時のヤツの暖かいまなざしとか、
初めて膝で寝たときにホントに気持ちよかった事とか、エサをくれる時の呼び声とか色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だって長引くと飼い主がつらいだろうって思ったからね。

そしてらエライ事になった。
もうすごい即死。そして飼い主のすごい涙。幅3cmくらい。昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い主がすごい悲しそうな顔を俺の方に向けてんの。
ホントごめんなさい。

正直「飼い主を苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」なんて
見栄張らないで素直に最後まで悪あがきしてやればよかった、せめて自然に任せて死ねばよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインさせた事を後悔したね。

でも埋葬が終わって天国で「飼い主って寿命ありすぎるよな!
これだから人間は。今度は長生きするカメにでも生まれるか」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ猫。

…もう泣かないで下さい。


98 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:52:15.03 ID:Y1O2bH6d0
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。


103 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 17:53:51.82 ID:Y1O2bH6d0
255 本当にあった怖い名無し sage 2007/03/22(木) 15:56:40 ID:80UrdAnb0
あるスレと重複になっちゃうんですがいいでしょうか。本当すいません。↓

御歳84になるおじいちゃんが言いました。
「僕はね、昔、まあ今もだけど。運動も勉学もロクにできなかった」
「友達もいないし。顔も悪い。いつもひとりぼっち」
「だから、死のうと思ったことがある」
「でも、死んでしまったら僕の葬式代がかかるだろう」
「役立たずの僕のためにそんな無駄なお金を使ってほしくなかったんだ」
「そこで僕は考えた。これ以上迷惑をかけないように今は死なないでおこう」
「生きて生きて、僕が死んで迷惑になる人たち皆死んでから、死のう。と」
「どこかの海か崖にでも身を投げて・・・ね」
「でもね、気付いたんだ。僕には両親がいる。兄弟がいる」
「兄弟はやがて結婚して子供を持った」
「僕も運良く結婚できて子供をもてた」
「僕が生きている以上、つながりが消えることはないんだ・・・ってね」
「そして、僕は僕の大事な妻のため、子供の為に今まで生きてきた」
「その、僕の大事な子供の子供が、君です」
「ありがとう、君がいるから僕は生きています」

病院で自傷による出血多量の手当てのため入院していた、僕に向かって。

それからしばらくして。
おじいちゃんは死にました。
葬式の会場で
「すまないねえ」
というおじいちゃんの声を、身内の者のほとんどが聞いたそうです。
僕も、聞きました。

もうすぐ月命日です。思い出したのでなんとなく。

126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:02:19.38 ID:Y1O2bH6d0
皆さんのお話を読み、俺が高校生の時に逝った爺ちゃんの事を思い出しました。
乱文かと思いますが綴らせてもらいます。

俺は爺ちゃんにとって4番目の孫でしたが他の孫達は皆地方に住んでいて、
自営業の寿司屋を継いだ親父の子である俺を爺ちゃんは内孫として
特に可愛がったそうです。
でもまだ俺が小さい頃は、爺ちゃんが苦手でした。

小学生の時、俺は少年ラグビークラブに通っていて毎週日曜日の練習後は
仕事で迎えに来れない両親の代わりに爺ちゃんが迎えにきてくれました。
けど昼飯でたまにファミレスなんかに入ると爺ちゃんは昭和初期からの
職人気質で(寿司屋の板前です)中々届かない料理にウエイトレスを
度々呼んではいつも怒っていました。
その時の爺ちゃんは子供ながらに怒らせちゃいけない存在なんだと思っていました。

ある時、赤いファイアーパターンが自慢のMTBを爺ちゃんが勝手に真っ黒に
塗ってしまったことがありました。爺ちゃん曰く、
『赤い自転車なんて女の子の乗り物だぞ!』
らしく、流石に両親に泣き喚いて親父が爺ちゃんをこっ酷く注意したそうです。
普通の祖父なら新しい自転車を買うのかもしれません。けど爺ちゃんは
俺を地元の馴染みの喫茶店に連れてってこう言いました。
『俺が死ぬまでお前は此処でアイスくりぃむ食べ放題だぞ!』
あの恐い爺ちゃんがアイスって、可笑しかったのを覚えています。
いつも額に皺を寄せて恐い顔をした爺ちゃんでしたが甘いモノは大好きで
その間だけ笑顔になるのが俺自身とても嬉しかったんです。
それと癖なんですが俺は小さい頃から皺などの柔らかい部分を
撫でるのが好きで爺ちゃんに逢った時はよく顎下辺りを撫でさせてもらいました。
この時も爺ちゃんは嬉しそうに笑ってくれたんです。

127 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:03:02.50 ID:Y1O2bH6d0
中学に入る頃、爺ちゃんは足を怪我して歩かなくなりました。
家族に甘えていたんだと思います、リハビリをしっかりすればまだ歩ける
可能性はあったのに爺ちゃんは全然リハビリを受けませんでした。
日に日に身体も衰弱し、入退院を繰り返しました。
俺自身、中学生になってからは色々忙しくなり、あまり爺ちゃん家にも顔を出さなくなりました。
高校の入学式、久々に爺ちゃん家に行った時には爺ちゃんは身体も小さくなり、
一歩もベッドから出れない状態になっていました。
自宅療養を願い、もうあまり時間も無いと医者も言ったので
週2でヘルパーを頼み、婆ちゃんと一緒に介護をしていました。
あまり喋ることも出来なくなっていて名前を呼ぶのが精一杯という感じです。
それでも爺ちゃんの好きな苺ジャムパンやアンパンなんかを持っていくと、爺ちゃんは笑顔になって顎下を指で指してきました。
俺はやるせない気持ちで爺ちゃんの顎下を撫でました。
もっと、もっと撫でてあげたかったよ、爺ちゃん。

春、爺ちゃんの好きな桜が咲いた日の夕方、爺ちゃんは天国に逝きました。
親父に呼ばれて急いで駆けつけて、死に目には逢えませんでしたが
その顔はうっすらと、口端を上げて笑っていました。
婆ちゃんが泣きながら俺の手を握っていました。とても、とても強く。
皆で身体を拭いてあげました。
上着を脱がして背中、胸、腕…。俺の番になりました。
その時、初めて俺は涙を流しました。嗚咽も無く、ただひたすら涙だけが
頬を伝っていました。俺は握ったタオルを顎の下にもっていきました。
皆が泣きました。俺がその部分を好きだというのは皆知っていました。
俺は涙で前が見えないのにゆっくりと、優しく、あの柔らかい部分を撫でてあげました。
まだ暖かく、爺ちゃんの顎下はとても柔らかかったです。
葬式は自営業の店で上げる事にしました。戦後の焼け野原から築いた
場所で還してあげたかったんです。白袴も断りました。
生前爺ちゃんのお気に入りだった茶色のジャケットとストライプの入った
パンツを履かせてあげました。死化粧を施してジャケットを着こなした
爺ちゃんは、あの頃の元気な爺ちゃんに戻ったようでした。

129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:03:38.03 ID:Y1O2bH6d0
沢山の人が通夜に来ました。親戚、近隣住人、数少くなった友人達、
若い頃世話になったというヤクザ者まで、本当に沢山の人が集まりました。
遺影はまだ爺ちゃんが元気な頃に撮ったと思われる写真が使われました。
どうも爺ちゃん自身が用意していたものらしく棚に封筒で包んで
しまってあったそうです。ただ何故か荒画質の荒さが目立っていました。
それでも爺ちゃんの表情は、俺の大好きだったあの笑顔でした。

それから数日後、後片付けをしていたオカンから電話があって爺ちゃん家に
行きました。するとそこには涙を流したオカンと婆ちゃんと親父が
いました。親父が俺に何かを差し出しました。
『見てみろ、お前が、あの爺さんの笑顔を作ったんだ』
俺は差し出されたものを見ました。写真のようでした。
ジャケットを着た爺ちゃんが写ってました。袴を着た幼い俺が写っていました。
俺の七五三の写真でした。爺ちゃんの顔の部分に印がついていました。

遺影に使われた笑顔は、俺の七五三で笑った笑顔でした。

俺は写真を見た瞬間、初めて人前で声を上げて泣きました。
息が出来ませんでした。息の仕方も忘れてただ泣きました。
婆ちゃんが抱きしめてくれました。オカンが手を握ってくれました。

爺ちゃん。俺、出棺の時コンビ二に走ってジャムパンとアンパン
買ってきたんだ、天国で売ってるなんて限らないからさ。
爺ちゃん。あの後、喫茶店に行ったんだ、爺ちゃんと一緒に食べた
同じ席に座って同じ抹茶アイスを2つ頼んでさ、美味かったろ。
爺ちゃん。最後、あまり行けなくてご免な、優しくない孫でご免な。
爺ちゃん。それでもあんたは、最高の爺ちゃんだったよ。
爺ちゃん。本当に、本当に、有難う。

136 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:08:21.27 ID:nKK5tK0o0
>>130続き

そして、次のページが最後でした。

『オレはもうすぐ死ぬらしい。
医者ははっきりとは言わんけど、わかるモンだなぁ。
思えば治らない病気(病名は伏せ)だって聞いてからもう1年だ。
結構長く生きた方だし、充分な人生だったんじゃねぇ? って
思おうとしたけどやっぱりダメ。もっと生きたい。 Nともっと一緒にいたかった。
入院してる間、振ったことを、あんなひどい 言葉を言ってしまったことをずっと後悔してきた。
でも、完治なんて可能性が無い。
Nはキレイだし性格いいんだからすぐ次に男ができる。
オレのために人生棒に ふらせるわけにはいかん・・・って何回も納得したはずなのに。
Nと喋りたい。今から電話したい、会いたい。 まだ死にたくない。
まだフォアグラ食べてないし、USJ行ってない。
大学卒業したかったし、母さんに親孝行もしたかった。ベタでも父さんと酒飲みたかった。
Nをもっと抱きたい。結婚して子ども欲しかった。
おじいちゃんおばあちゃんになっても 手とつなぐような夫婦になりたかった。Nにあいたい。
でももう叶わない。後悔してばっかりだった。
死ぬときは笑っていきたいけど、 本音は辛すぎる。N、やっぱりまだまだ愛してる。オレのこと忘れて幸せになれよ』

涙が止まりませんでした。
彼は私のことを常に考えてくれて、でも私は彼の体のことなんてまったく気付かずに自分のことばっかり考えていました。
何で死んじゃったんだろう。私には彼しかいないのに。
友達はこの日記を病院のゴミ箱で見つけたそうです。私に見つからないようにだと思います。
私のことをここまで想ってくれる人はもういません。 お葬式には行けませんでした。
明日は彼の一周忌です。
最初は自暴自棄な私でしたが、彼の遺志を尊重するために幸せになろうと思います。

138 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:09:03.31 ID:n2IccsPi0
俺の近所に住んでた爺さんの話。

一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。

168 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:24:29.12 ID:n2IccsPi0
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

      「若、ご立派になられましたな。」
もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。
そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。

後に医師から聞かされた話なのだが、「じい」が脳に負った障害は重く、そこから意識が回復した例は
聞いたことがない、というかまずあり得ないということであった。
だがあの場にいた俺は、オカンは、看護士は、確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」 とは腰を抜かしてたオカンの談である。
そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと心に誓ったものの
結局こんな時間から2chに入り浸ってるような、天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。

141 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:11:09.30 ID:nKK5tK0o0
3年前、妻と長女が事故で他界しました。

先日、次女が7歳の誕生日を迎えました。
早く仕事を切り上げて帰宅し、
次女と2人で妻と長女に誕生日の報告をした時の事です。
次女が長女の遺影に向かって、
「ゆうちゃん(長女)は6歳だから、今日からは、さや(次女)が
お姉ちゃんだね。」
と言ったとき、涙を堪えきれませんでした。



ミチエへ
年上の君に、「もうすぐ三十路だね。」などとからかっていましたが、
僕の方が先に三十路になっちゃいました。
年下の夫で頼りなく思っていたかもしれませんが、
年上になった今、少しは頼もしく見えますか?
さやは君そっくりに、たくましくしっかり者に成長しています。
ゆうちゃんと2人で、安心して見守っててください。

143 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:11:19.03 ID:2gxlq0Wo0
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は料理番組に出演していた。私の知らない裏の顔だった。
母の部屋を掃除していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「試作品を娘に食べさせるのは良くない。勉強になった」 日記はあの日で終わっていた。
怒りで涙がこぼれた

147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:12:14.63 ID:bANQ9rvL0
                    あまり私を一人にしないほうがいい
                     ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        :☆:                    ___
      .::* ◎.。     +        . /    \
+    .::彡彳*‡:*..              | ^   ^ |
    .:+彡*★:ミ:♪:ミ。:, +          | .>ノ(、_, )ヽ、.,|
   .:彡'゚‡,※゚.◎::▲:ミ,::..           ! ! -=ニ=- ノ
 +.,;彡*;▲彡゚*★::.ミ~:ミ+:..            \`ニニ´/´ヽ、
 ..*彡゚◎.从♪.:ミ,☆,゚〓:ミ:,,  +      /    _    l
 .:彡★*..☆,彡.:◆.ミ.+:◎,ミ。:..       /  ̄`Y´   ヾ;/  |
.:゚:彡彡彡彡彡彡ミミミミミミミミ::.____,|    |    |´  ハ
     ;■■■■;            |    |    |-‐'i′l

172 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:27:06.85 ID:Y1O2bH6d0
20年前ぐらいの前の話

当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・

俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。

1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。

無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。
店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」

・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。

泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。

177 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:30:25.57 ID:nKK5tK0o0
永久保存って書いたカセットがでてきたから、なんだと
思って聞いてみたら
赤ん坊の頃で訳のわからないことしゃべってる俺と、
両親の楽しそうな会話が入ってた

それ聞いてたら、なんか涙が止まらなくなった
いま両親が家庭内別居って状態だったり、
俺が両親の期待に添えなかった自分へ後悔とか
色々な気持ちが出てきて、涙が止まらん

父ちゃん母ちゃんこんな俺の世話をしてくれてありがとう

182 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:32:38.28 ID:Y1O2bH6d0
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。

俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。

んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。

んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。

184 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:34:25.08 ID:Y1O2bH6d0
んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。

でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。

それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…

186 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:34:57.46 ID:Y1O2bH6d0
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。

それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ。

188 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:35:36.97 ID:Y1O2bH6d0
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。

「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」
と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。

俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。

189 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:36:09.40 ID:Y1O2bH6d0
もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。

パーティー四人の名前がこうなっていた。

「リョータ」

「いろいろ」

「ありがと」

「バイバイ」

…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。

200 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:42:57.44 ID:Y1O2bH6d0
ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。
一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。
2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男は
ドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。
「今日は雲一つない青空だ。」「桜の花がさいたよ。」「ツバメが巣を作ったんだ。」
そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。
ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。
「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」

どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベッドの男は、
自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見殺しにした。
窓側のベッドの男はそのまま死亡した。

晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、
打ちっ放しのコンクリートの壁だった。

202 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:44:47.40 ID:nKK5tK0o0
冬のある日のこと、一人の若者が週末の休みを利用してバイクで遠乗りを楽しんでいた。
その日は寒かったので若者は向かい風を防ぐためにジャケットを前後反対に着ていたのだが、

それが思わぬ災いを呼ぶ事になる。

あるコーナーに差し掛かったときのこと。
バイクの腕に自信のあった彼はかなりのスピードでコーナーを曲がろうとしたのだが、

そこでハンドル操作を誤まり転倒。
そのままコーナーに突っ込むと全身を強く打ち気を失ってしまった。
やがて駆けつけた救急隊員たちはジャケットを反対に着て倒れている彼を見て驚いた。
「大変だ、首が180度曲がってるぞ!これでは即死だな」
可哀想に思った親切な救急隊員たちは彼の首をもとの向き・・・と思われた方向に無理やり回した。
これが原因で彼の意識は二度と戻らなかった。

210 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 18:50:17.33 ID:Y1O2bH6d0
西武ファンになってもう20年超えた
工藤が居なくなっても応援した
清原が居なくなっても応援した
秋山が居なくなっても応援した
カズオが居なくなっても応援した
豊田が居なくなっても応援した
松坂が居なくなっても応援した
裏金問題が表面化して制裁受けても応援した
長年続けてきたAクラス死守出来なかったけど応援した
裏金問題の影響で上位指名剥奪されても応援した

その結果待ってたのはデーブ大久保だった
あんまりだ、あんまりだ

258 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 19:23:31.56 ID:Y1O2bH6d0
548 :水先案名無い人:2006/06/23(金) 18:39:57 ID:8qJ8h9f00
俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
いきなり倒れて入院した。

検査をして入院が決まったが
俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって
かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教大学出身
俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ったものだ。
実際に受験となると、ハードルは高かったけれど
立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々話をさせた
学校 進路 夢
思えば何であのとき気がつかなかったんだろう…

涙が…ちょヤバ…
最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い判定
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
得意げに模試を見せた
かーちゃん「がんばってるのね
タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
俺の手を握りながら…楽しそうに

260 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 19:24:05.37 ID:Y1O2bH6d0
それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい
一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
かーちゃんが急に苦しみだした
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい
混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい
俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
かーちゃんはいつもみたく手を握った
病人とは思えないくらい強く 俺は子供みたいに泣いていた…
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
「うけてきなさい」
そしてかーちゃんは俺から手を離した

261 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 19:24:45.80 ID:Y1O2bH6d0
そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」
俺はかーちゃんのてをもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して
何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時
何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
フラフラと地元まで帰った…

病室に入ると、かーちゃんは居なかった
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。
担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。

262 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 19:25:14.28 ID:Y1O2bH6d0
葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格
俺は泣いた
合格も嬉しかったけれど
何より心で叫んだ
かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
何で…こんな時にいないんだよ…

かーちゃん…

俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
たくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう
でも俺はこの18年間のごめんなさい ありがとう を全部語った。

319 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 20:49:23.06 ID:0SnjtdHH0
アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手に憧れています。
ある日、少年はその選手にファンレターを送りました。
「ぼくは、めがみえません。でも、まいにちあなたのホームランをたのしみにしています。
しゅじゅつすればみえるようになるのですが、こわくてたまりません。
あたなのようなつよいこころがほしいです。  ぼくのヒーローへ」
この手紙がマスコミの目に留まり、二人の対面が実現する事になりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを打てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と・・・
そして、その試合でヒーローによる最後の打席。2ストライク・3ボール。
テレビや新聞を見た多くのファンがスタジアムで固唾を呑んで見守り、少年自身もテレビの中継を祈る思いで聞いています。
しかし、ピッチャーの投げた最後のボールは大きな空振りとともにキャッチャーミットに突き刺さりました。
そして全米から大きなため息が漏れようとしたその時、スタジアムの実況がこう言いました。

「・・・ホームラーンッ!月まで届きそうな大きな大きなホームランですっ!!!」

322 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:02:53.71 ID:0SnjtdHH0
139 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 23:16:24 ID:IDlVpnKM

うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。

ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。

それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。

あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。

326 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:10:39.08 ID:1LLL1lcNO
数年前の話。

当時俺は高校に上がりたてだった。
携帯電話が欲しくてすぐにバイトを始めた。
その時期に婆ちゃんが入院してたんだが、前にも入院してたしすごい元気だったからあまり深刻に考えてなかった。
親や兄弟が見舞いに行って、すごい元気だったって聞いて安心してた。

そして、ほぼ毎日バイトしてたおかげで、4月の終わりに携帯買いに行ったんだ。
めちゃくちゃうれしかった。
家(マンション)に帰ると、階段の前にタクシーが止まってた。
珍しいので親に話そうと思って玄関開けたら、親が急に病院行くよって言ったんだ。
婆ちゃんが急変との事で親が呼んだタクシーだった。
タクシーの中で弟に携帯を自慢してた。
うれしさと家族をなくした事が無かったせいだ。

病院に着くと婆ちゃんは息を引き取ってた。
有り得なさすぎて呆然としてたら、親が最後だし触ってあげなとか言ったんだ。
触った瞬間号泣した。
死を実感した事、携帯に夢中だった事、見舞いに行ってなかった事、幼稚園上がるまで婆ちゃんちで育った事から、うちの家族が引っ越して何年か経って、市営住宅なのに運良くとなりに引っ越して来たことまで思い出し、声を上げて泣いた。

葬式の時に人がたくさん来て泣いてくれたせいか、悲しみより喜びが大きくて涙は出なかった。

しかし最近、一回でも見舞い行けば良かった、とか、2ちゃんのコピペ見て思い出すとかでたまに泣いてしまう。

コピペじゃないところと携帯からの長文駄文、申し訳ない。

327 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:18:04.47 ID:0SnjtdHH0
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。

年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。
イマイチ、実感が沸かなかった。
もうすぐお別れなんて考えられなかった。

弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん
私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。
喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた

心無しか目が潤んでるように見えた。
手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。
握っても、握り返すことは出来ないらしい。
でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。

その時、初めて実感できた。
この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。
死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。

帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた
「これが最後になるかもしれないのに」とも。
おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。
出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。
夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。
涙をこらえて、「またね」と言った。

今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。
夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。
せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。

328 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:24:26.39 ID:0SnjtdHH0
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。

使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。

最初で最期の私宛のメール。
私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。







「お前からのメールがやっと見られた。返事に何日もかかっている。
 お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
 孫が生まれたら毎日子守してやる。」

333 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:34:56.40 ID:0SnjtdHH0
小さい頃、母親と水族館に行った時に母親に買って貰ったソフトクリームを転んで落とした。

号泣してる私に母親は「痛かったね、ママのソフトクリームあげるからね」といってなだめてくれてたけど、
私は本当は「母親が買ってくれた」ソフトクリームを落とした事が申し訳なくて泣いていた。

あれから13年経って、母親が死んだ。
私は、伝える事が出来なかった話を死んだ母親の前で泣きながら話した。

ずっと前に「死ね」と言った事をずっと謝りたかった事。
彼氏が出来た事を報告しなかった事。
お嫁さん姿見たいって言ってたのに見せられなくてごめんね、などたくさんの事を話した。

334 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:35:16.91 ID:0SnjtdHH0
そんな時急にソフトクリームの話を思い出した。そして死んだ母親に言った。

「あの時私が泣いたのは申し訳なかったからなんだよ」

するといつからいたのか、父親が後ろから、
「お母さん全部知ってたよ。あの時、お母さんは“○○が私の為に泣いた”って言って泣いてたから覚えてる。ホント親子揃って泣き虫だ」と言って、泣いていた。

嬉しくて悲しくて涙が止まらなかった。
謝ってばかりいる事が情けなかったもっとありがとうを言えばよかった。

お母さん、本当にありがとう。
こんなとこでしか言えなくてごめんなさい。

350 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:47:34.22 ID:0SnjtdHH0
俺の妹な、すげぇ頭悪いんだ。
でもさ、すっげぇ優しくて、強いんだ。
俺はさ、頭には自信があるよ。
でもさ、すっげぇ性格ねじ曲がって、弱かったんだ。

俺らの親はさ、事故って死んだんだ。
俺が16。
妹が14の時。
そいで親戚に預けられたんだけどよ、妹に対して酷かった。
すっげぇ酷いこと言われてんのに耐えてるんだ。
その時に思った。
絶対にコイツを幸せにしてやらないとなぁ…って。
そいで俺が20。妹が18になってから。
俺が妹に「一緒に暮らすか?」って聞いたんだ。
俺も一人暮し出来るくらいにはなってたし。
仕事もしてたしな。
ついでに知り合いがアパートの管理人でさ、住ませてくれたんだ。
でもさ、妹は「お兄ちゃんに迷惑かけられないから」って言うんだ。
そんなの別にいいのにな。

351 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:48:17.53 ID:0SnjtdHH0
無理言ってから妹と住むことになったんだ。
四カ月後、仕事先の女の子と付き合うことになった。
妹は祝福してくれた。
一年後に彼女と別れた。
理由は聞いてない。
妹は「お兄ちゃんとお似合いだよ」とか言ってた。
だからさ、別れたって言った後にすげぇ怒られた。
そのとき説教を素直に聞いてればいいのにさ俺はマジギレしたんだ。
その後に即効寝た。
マジで腹立ってた。
なんでか解らない。
眠れなくて目ぇ開けたら電気ついてんだよな。
まだ起きてんのか…とか思いながら見たら、妹が泣いてた。
俺もアホなことしたなぁ…って思った。
でもさ、泣いてる理由に気付いてマジ辛かった。
「お兄ちゃんごめん…」って言ってた。
泣きながらずっと。
俺が傷つけたのに、妹が傷つけたみたいになってた。
次の日に謝ろうと思ったよ。
でも、言い出せなくて気まずかった。たった一言なのに。
そんな日が何日か続いて、妹は事故にあった。
妹の不注意だった。
妹は即死。
結局言えなかった。
あれだけ好きだった妹に謝ることさえできなかった。
マジで辛い。

352 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:48:51.08 ID:0SnjtdHH0
葬式でさ、散々妹を虐めてた親戚が「惜しい子を亡くしました」とか言ってた。
俺は、お前らのせいで死んだんだ!とか責任転嫁してた。
でも、結局は俺のせいだ。
謝ってたら少しは俺も救われたのか?
妹は生きてたのか?
ずっと自問自答してる。
何も意味が無いのはわかってる。
お前らさ、言いたいことが言えるのは相手と自分が生きてる内だけなんだ。
だから、好きなこと言って、悪いと思ったら謝って。
謝れないまま相手が死んだら自分が救われないから。

353 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:49:38.76 ID:jzBCqOq90
851 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/11 01:59 ID:rOP3x8p5
幼稚園の頃、一度だけ父が夕飯を作ってくれたことがあった。

いつもなら、母が不在の時は、近所の親類宅に厄介になっていたのに、
何故か、その日だけは父が食事を作ってくれた。
優しい子煩悩な父だったが、如何せん“男子厨房に入らず”な教育を
受けて育った人だったので、それまで料理なぞ作った事もなかったと思う。
それが、子供のために悪戦苦闘して台所に立つ姿は、幼心にも胸に迫る
ものがあった。
案の定、料理は失敗し、父はすまなそうに謝りながら食卓に並べた。
硬い御飯、真っ黒に焦げた大きなオムレツ、塩っ辛いホウレンソウ炒め。
三十年以上経った今でも、鮮明に思い出す。
でも、私には、それらはとても美味しく感じられたのだ。
苦くてジャリジャリしたけど、お水をガブガブ飲むほど辛かったけど、
美味しくて美味しくて、一生懸命沢山食べたと思う。
帰宅した母に、父は『○子は良く食べる』と嬉しそうに報告したそうだ。

結局、父の手料理を食べたのは、その時一度っきり。
今、父は、体も心も少しずつ動かなくなる病と闘っている。
お父さん、あの時の料理、美味しかったよ。
お父さんが忘れても、私がずっと覚えているからね。

354 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:51:05.30 ID:0SnjtdHH0
70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/10/17(水) 02:22:16.22 ID:FYgGyfSfO
19の時、妹が産まれた。友達から「お前の子供だろー!」なんてからかいも受けたりした。
でも、高齢出産だったかあさんはそれが元で、体がおかしくなった。
無理して産むから!妹なんていらない!なんで子供が出来るん?!
って、思った。
正直、その時は妹が嫌いだった。余計な「物」だった。
気持ち良さそうに寝ている姿にムカついた。
結局、かあさんは出産のために入った病院から出ることなく家には帰ってこなかった
妹を殺してやろうと思った。大嫌いだった。絶対面倒なんて見ないって思った。
でも、父さんは違った。
自分の子供だからね。かあさんとの子供だからね。
そう思った。
お葬式が終わって、49日の法要の日がきた。それまでほとんど家には帰らなかった。
妹がいる家にはいたくなかった。
法要のあと、父さんに呼ばれた。話があるって。
リビングのソファーに父さんが座ってた。そばで妹が寝ていた。
泣いた。すごく泣いた。父さんの話を聞いてすごく泣いた。そして、自分のバカさ加減に情けなくなった。
かあさんは元々体が悪かった。ずっと昔から。私を産む時も家族・親戚中から反対されてた。
でも、私を産んでくれた。
妹を妊娠した時も医者に止められていた。せっかく授かったかけがえのない命を無駄にしない!って医者に言った
どうせ長くないみたいだから、あなたとあの子に最後のプレゼント。そう父さんに言った。
私が死んで、あなたが死んでも、これであの子は一人ぼっちにはならない。そう父さんに言った。
ごめん、もうかけない

355 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:53:07.65 ID:0SnjtdHH0
初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。
へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら
「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ」と
悪態をついた日々。
赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。ただ、もがくだけの日々。

あれから数年たって、娘は五歳になった。
「あのね、ママ」(もじもじ)
「なぁに」

「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの」

あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。こっそり台所で泣いた。

357 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:56:42.61 ID:MN4uG8aZ0
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。


ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。


娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

358 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 21:56:45.94 ID:0SnjtdHH0
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。

今日は結婚記念日でカミさんと外食した。

レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。 特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。

父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。 しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。

しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と 言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。

咳き込むたびに ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。 咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。

向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。 奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。うちのカミさんはちょっともらい涙していた。

帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」 とカミさんにいった。

カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。

368 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:01:09.65 ID:0SnjtdHH0
とある猫が4匹の仔猫を産んだんだ
親猫は間もなく死んだ 病気だった

残された仔猫のうち
1匹は子供に拾われていった
生涯をまっとうできるであろうが子孫は残せない体になった

1匹は野良として育っていった
数匹の仔猫を産み親猫と同じように死んだ

1匹は野犬に喰われた
いずれのたれ死ぬ犬の一時の空腹を紛らわせた

残る一匹はどうなったか
車に轢かれて死んだ
何も残すことなくただ無為に死んでいった

372 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:03:17.90 ID:0SnjtdHH0
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・

あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った

その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた

「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った

その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている

374 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:05:25.88 ID:0SnjtdHH0
付き合って3年の彼女に唐突に振られた。
「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」

就職して2年、そろそろ結婚とかも真剣に考えてたっつーのに、目の前が真っ暗になった。
俺は本当に彼女が好きだったし、勿論浮気もしたことないし、そりゃ俺は格別イイ男って訳じゃなかったけど、
彼女の事は本当に大事にしてたつもりだった。なのに、すっげーあっさりスッパリやられた。

どーにもこーにも収まりつかなくて、電話するも着信拒否、家行ってもいつも留守、バイト先も辞めてた。
徹底的に避けられた。
もーショックですげー荒れた。仕事に打ち込みまくった。

それから半年、お陰で同期の中でダントツの出世頭になってた。
彼女の事も、少しずつ忘れ始めてた、そんなある日、携帯に知らない番号から電話がかかってきた。

最初は悪戯とかだと思って無視ってたんだけど、何回もかかってくる。仕方ないから出た。
別れた彼女の妹を名乗る女からだった。その女が俺に言った。
「お姉ちゃんに会いに来てくれませんか?」

・・・彼女は白血病にかかっていて、入院していた。
ドナーがやっと見つかったものの、状態は非常に悪く、手術をしても助かる確立は五分五分だという。
入院したのは俺と別れた直後だった。

379 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:06:40.29 ID:0SnjtdHH0
俺は、病院へ駆けつけた。
無菌室にいる彼女をガラス越しに見た瞬間、俺は周りの目を忘れて怒鳴った。
「お前、何勝手な真似してんだよっ!俺はそんなに頼りないかよっ!!」

彼女は俺の姿を見て、しばらく呆然としていた。どうして俺がここに居るのかわからない、という顔だった。
その姿は本当に小さくて、今にも消えてしまいそうだった。
でもすぐに、彼女はハッと我に返った顔になり、険しい顔でそっぽを向いた。

俺は、その場に泣き崩れた。堪らなかった、この期に及んでまだ意地をはる彼女の心が。愛しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。

その日から手術までの2週間、俺は毎日病院に通った。
けれど、彼女は変わらず頑なに俺を拒絶し続けた。
そして手術の日。俺は会社を休んで病院に居た。
俺が病院に着いた時にはもう彼女は手術室の中だった。

手術は無事成功。けれど、安心は出来なかった。
抗生物質を飲み、経過を慎重に見なくてはならないと医者が言った。
俺は手術後も毎日病院に通った。
彼女は、ゆっくりではあるけれど、回復していった。
そして彼女は、相変わらず俺の顔も見ようとしなかった。

ようやく退院出来る日が来た。
定期的に検査の為、通院しなくてはならないし、薬は飲まなくてはならないけれど、
日常生活を送れるまでに彼女は回復した。俺は当然、彼女に会いに行った。お祝いの花束と贈り物を持って。

381 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:07:37.17 ID:0SnjtdHH0
「退院、おめでとう」
そう言って、花束を手渡した。彼女は無言で受け取ってくれた。
俺はポケットから小さい箱を取り出して中身を見せた。
俗に言う給料の3ヶ月分ってヤツ。
「これももらって欲しいんだけど。俺、本気だから」
そう言ったら、彼女は凄く驚いた顔をしてから、うつむいた。
「馬鹿じゃないの」
彼女の肩が震えていた。
「うん、俺馬鹿だよ。お前がどんな思いしてたかなんて全然知らなかった。本当にごめん」
「私、これから先だってどうなるかわからないんだよ?」
「知ってる。色々これでも勉強したから。で、どうかな?俺の嫁さんになってくれる?」
彼女は顔を上げて、涙いっぱいの目で俺を見た。
「ありがとう」
俺は彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。

ウチの親には反対されたけど、俺は彼女と結婚した。
それから2年。あまり体は強くないけれど、気は人一倍強い嫁さんの尻に敷かれてる俺がいる。
子供もいつか授かればいいな、という感じで無理せず暢気に構えてる。


390 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:11:39.82 ID:0SnjtdHH0
654 名前:大人の名無しさん 投稿日:04/08/02 00:16 ID:iOTJw2MX
流れぶった切りでスマン。

嫁さんのお腹に新しい命が宿ってるってわかった。
「子供は授かりものだから、無理しないでのんびり構えとこう」
とか言ってたけど、正直諦め気味だった。
まだ豆粒みたいなもんなんだろうけど、俺と嫁さんの子供が嫁さんのお腹の中にいる。
そう思っただけで、何か訳の分からない熱いものが胸の奥からこみ上げてきて、泣いた。
嫁さんも泣いてた。
実家に電話したら、結婚の時あんだけ反対してたウチの親まで泣き出した。
「良かったなぁ、良かったなぁ。神様はちゃんとおるんやなぁ」って。
嫁さんの親御さんは「ありがとう、ありがとう」って泣いてた。皆で泣きまくり。
嫁さんは身体があんまり丈夫じゃないから、産まれるまで色々大変だろうけど、俺は死ぬ気で嫁さんと子供を守り抜く。
誰よりも強いお父さんになってやる。
でも、今だけはカッコ悪く泣かせて欲しい。

393 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:13:27.97 ID:0SnjtdHH0
御歳84になるおじいちゃんが言いました。
「僕はね、昔、まあ今もだけど。運動も勉学もロクにできなかった」
「友達もいないし。顔も悪い。いつもひとりぼっち」
「だから、死のうと思ったことがある」
「でも、死んでしまったら僕の葬式代がかかるだろう」
「役立たずの僕のためにそんな無駄なお金を使ってほしくなかったんだ」
「そこで僕は考えた。これ以上迷惑をかけないように今は死なないでおこう」
「生きて生きて、僕が死んで迷惑になる人たち皆死んでから、死のう。と」
「どこかの海か崖にでも身を投げて・・・ね」
「でもね、気付いたんだ。僕には両親がいる。兄弟がいる」
「兄弟はやがて結婚して子供を持った」
「僕も運良く結婚できて子供をもてた」
「僕が生きている以上、つながりが消えることはないんだ・・・ってね」
「そして、僕は僕の大事な妻のため、子供の為に今まで生きてきた」
「その、僕の大事な子供の子供が、君です」
「ありがとう、君がいるから僕は生きています」

病院で自傷による出血多量の手当てのため入院していた、僕に向かって。

それからしばらくして。
おじいちゃんは死にました。
葬式の会場で
「すまないねえ」
というおじいちゃんの声を、身内の者のほとんどが聞いたそうです。
僕も、聞きました。

もうすぐ月命日です。思い出したのでなんとなく。


394 :1/2:2007/10/26(金) 22:14:13.04 ID:jzBCqOq90
俺も小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエ口ビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
 お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
 今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

395 :2/2:2007/10/26(金) 22:14:36.54 ID:jzBCqOq90
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

お父さん、お母さん、ありがとうございます。

398 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:18:15.06 ID:0SnjtdHH0
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。


       J('ー`)し
        (  )\('∀`)
        ||  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。

┌─────────┐
│  個 人. 商 店  │
└─────────┘
 │  J('ー`)し     |
 │   (  )    ┌─|
 │   ||    │ i|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
   │
   │
   │
   │  J('ー`)し_____________
  / ̄ ̄ (  )  ('∀`)  
/      ||  (_ _)ヾ


399 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:18:43.48 ID:0SnjtdHH0
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。

///////ww   w  ww
//////w ww        J('ー`)し
/////w w ww. ('∀`)  □ノ(  )
////w w  w   ( ヘヘ    ||
///w  ww ww  w



給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた


         J('ー`)し         ワーイ コーラ ダ
          (  )ヽ□ ヽ('∀`)ノ クリームパン ダ
          ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらって
きた

       J('∀`)し
        (ヽロロ   ヽ('∀`)/
        ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

402 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:19:28.88 ID:0SnjtdHH0
俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。


   J('∀`)し
t─┐ノ( ノ)        ヾ('∀`)ノロロ
  │■| |       .  (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた

──┐
   │                _[係]
   │   J(;'Д`)し       (`Д´ )
   │     (  )\('д`) ロロヾ(  ) 
   │     ||  (_ _)ヾ    / └ 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。

──┐
   │                _[係]
   │   J( ;'A`)し       (`Д´ )
   │     (  )\( 'A`) ロロヾ(  ) 
   │     ||  (_ _)ヾ     || 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

403 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:19:45.77 ID:0SnjtdHH0
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら


  ( '∀`) J('A` )し
  .(_ _)   (  )  .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|  
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした


  ( 'A`) J('A` )し
  .(_ _)   (  )  .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|  
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

404 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:20:13.59 ID:0SnjtdHH0
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。

                 ('A` )
         J('A`)し    (  )
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ  ||
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ

俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった

                 ('ー`;;)
         J('A`)し    (  )
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ  ||
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ

407 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:21:58.20 ID:0SnjtdHH0
子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。

408 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:22:41.33 ID:0SnjtdHH0
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、
過労だと思う、、

葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、

私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない、
母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、
謝りたい、心から母に謝りたかった。

412 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:24:21.58 ID:0SnjtdHH0
そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、
その夢を見た朝、父が
「今朝、母さんの夢を見た。」と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が直接会いに行って話したらいいと母に言うと、
もう会ってきたからと言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。

414 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:24:54.63 ID:0SnjtdHH0
結局、私は大学には行けなかった。
今は普通の会社員だ。
が、暇を見つけては絵を描いて、
描きあがった絵は仏壇の前に飾っている。
絵を好きになったのは、美大に行きたかったのは、
子供の頃「上手に描けたね」と言ってくれた母の一言がきっかけだった。
それに気づいたから。
今も、母の事を思うと自責の念で心が痛むけれど、
その母のためにもがんばって生きていきたいと思う。


415 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:25:41.19 ID:jzBCqOq90
はなへ
はなは私のお母さんだった。
いつも家にいなくていれば私を殴ってたあの女に噛みついて、私を守ろうとしてくれた。
学校まで、送り迎えもしてくれた。
狩りを教えようと雀を捕まえてきて、私の前で実演して見せてくれた。
親孝行したかった。
やっと自分で生活できるようになったよ。
私が守ってあげられるようになったんだよ。
教えてくれたのに、狩りできなくてごめん。
でも、今ならおいしいごはん買ってきてあげられるんだよ。
こたつもあるんだよ。
はなに親孝行したかった。
はなと二人で暮らしたかった。
帰ってきてほしいよ、はな。
どうして大人になるまで生きててくれなかったの?
はながいてくれたから、大人になれた。
はな、ありがとう。
今いきてるのは、はなのおかげ。
親孝行したかった。本当に。

416 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:27:59.33 ID:Y1O2bH6d0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
   最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

417 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:28:31.21 ID:0SnjtdHH0
漏れはちっちゃい頃、両親は共働きでいつも誰かに預けられてた。
5〜6才の頃かな?その時も遊びに行くんじゃなくてかーちゃんが銀行に用事があって一緒に歩いてた。
その帰り道、すごくいい匂いがしてきたんだ。
匂いの元はパン工場だった。
小売店じゃないし当然販売なんてしてないんだけど、漏れが
「美味しそう!食べたいね!」って何の気なしに言ったら、
かーちゃんその工場に入っていって無理言って焼きたてのクリームパン一つ買ってきてくれたんだ。
「一緒にいてやれなくてごめんね。」って言ったその顔がすごく悲しそうだったのをハッキリ憶えてる。

そのかーちゃんが亡くなった。
最後の方はもうボケたようになっちゃってたんだけど
亡くなる前「クリームパン美味しかったかい?」って聞くんだよ。
漏れ「美味しかったよ。すごく美味しかった。」って言うのが精一杯だった。
そしたら、かーちゃん最後に「遊んでやれなくてごめんね。」って言うんだよ。
「そんな事ないよ。いつも楽しかったよ。」って言った後、漏れたまらなくて号泣した。

漏れ、聞きたいことがあったんだ、
かーちゃん。漏れは幸せだった。
かーちゃんは幸せだったかい?不出来な息子でごめんな。

421 :1/11:2007/10/26(金) 22:29:53.36 ID:0SnjtdHH0
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┃┃   J('ー`)し       ┃┃
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初めて動物園に行った時の写真だ。
母はそれを肌身離さずいつも持っていた。


   せ・先生、あらもう診察の時間?

 |
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;) カ・カーチャンオレダヨ
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  タケシダヨ・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



422 :2/11:2007/10/26(金) 22:30:29.65 ID:0SnjtdHH0
    きゃはは 先生ったら冗談ばっかり!

 |
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;)  ・・・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  ・・・・・・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ねえねえ 先生!これ見て見て
  うちの息子のタケシなのかわいいでしょ
 |          ◇
 |   /J( ゚∀゚)/    ヾ('ー` ;) 
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


423 :3/11:2007/10/26(金) 22:30:56.93 ID:0SnjtdHH0
 |                    モレ、コノシャシン トッタアト
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;)  オシッコ モラシチャッタヨ ネ
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )   カーチャン・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    そーなのよー もう大変だったの
     でもかわいい息子でしょ?
 |                    
 |   / J( ゚∀)ゞ     ('ー` ;)  ウン・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )   
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


424 :4/11:2007/10/26(金) 22:32:04.65 ID:0SnjtdHH0
    あら、そういえばタケシ
    どこいっちゃったのかしら???
 |                    
 |   J(∀゚=゚∀゚)し    ('ー` ;)  カ・カーチャン・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )   
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ちょっと!!あんた誰? なぜ私の
   大事な写真を取ったの??ドロボー!!!
 |                    
 |   /J(# `Д)/    ('ー` ;)  ス・スミマセン・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ□ヽ )   
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     かえせ!!! バカヤロー!!
 |          ◇         
 |   /J(# `Д)/ ヾ ('ー` ;)  
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽヽ )   
 |   |/ /     /|│|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

426 :5/11:2007/10/26(金) 22:34:10.19 ID:0SnjtdHH0
     脳細胞が破壊される病気で現代の医学では
 |    お手上げなんです。徐々に記憶がなくなって
 |     そのうち心肺機能も停止してしまいます。
 | 
 |          ◎__,,     < ̄>
 |    (; 'A`)  (゙A゙ )   J(‘A‘ )し
 |     (ヽ )   ヽ(  )    (y )
/ ̄ ̄ ̄□>> ̄ くく□ ̄ ̄ ̄|│ ̄ ̄

     
    あれ?おじさんだあれ?
     私のお父さんとお母さんはどこ?

 |
 |   /J( ゚A゚)し      ('A` ;) カーチャン
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  タケシダヨ・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


427 :6/11:2007/10/26(金) 22:35:08.92 ID:0SnjtdHH0
     お家へ帰りたいよう・・・
     おかあさーーーーん
 |
 |   /J( 'Д`)し      ('A` ;) ・・・・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    |          ジリリリリリーーーーン
    |   ( 'A`)               
   / ̄ ̄ヘヘ ) ̄苗 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  


            エエ !? カーチャン ガ ??
    |   
    |   (゚A゚ ;】>              
   / ̄ ̄ヘヘ )~~~田 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   


428 :7/11:2007/10/26(金) 22:35:43.34 ID:0SnjtdHH0
    もう脳の機能も低下して記憶そのものも
    ない状態です・・・
 | 
 |          ◎__,,     < ̄>
 |    (; 'A`)  (゙A゙ )   J(‘A‘ )し
 |     (ヽ )   ヽ(  )    (y )
/ ̄ ̄ ̄□>> ̄ くく□ ̄ ̄ ̄|│ ̄ ̄


 |
 |   /~|          ('A` ;) ・・・・・・・・
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                   カーチャン ドウブツエン ニ イクヒ
                   イッショ ニ オベントウ ヲ ツクッタノ
 |                   オボエテルカイ?
 |   /~|          ('ー` ;) 
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄

430 :8/11:2007/10/26(金) 22:37:28.99 ID:0SnjtdHH0
                   モレ、オニギリニギッタヨ
                   ナカナカ ウマク ニギレナカッタ
 |                   デモ カーチャン ホメテ クレタ
 |   /~|          ('ー` ;)  オカズハ タマゴヤキト
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )   ウインナー・・・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                   ウーン・・・
                   アト ナニガ ハイッテタカ
 |                   オモイダセナイヤ・・・
 |   /~|          ('ー` ;) 
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


431 :9/11:2007/10/26(金) 22:37:59.71 ID:0SnjtdHH0
    ア・アスパラ・・・ベーコン巻き・・               
                   
 |                   
 |   /~|          (゚A゚ ;)   カ・カーチャン???
 |   |J( 'A`)/⌒⌒⌒ヽ (  )  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     あと・・・肉じゃが・・・ね・・・     
 |                   
 |   /~|          (゚∀゚ ;)   キオク ガ モドッタノ??
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

    タケシ・・・・     
 |                    
 |   /~|         (∀` ;)   ン?ナニカーチャン?
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

433 :10/11:2007/10/26(金) 22:44:38.33 ID:0SnjtdHH0
     動物園楽しいかい?     
 |                    タ・タノシイヨ!!
 |   /~|         (∀` ;)   スッゴクタノシイヨ
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     ・・・・・・・・・     
 |                    
 |   /~|         (∀` ;)   カ・カーチャン??
 |   |J( 'ー`)/⌒⌒⌒ヽヾ( ヾ)  
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

436 :11/11:2007/10/26(金) 22:49:44.81 ID:0SnjtdHH0
その後 カーチャンは二度と目を覚まさなかった。
脳の記憶が薄れていく中、カーチャンは懸命に
動物園の時の記憶を漏れの為に最後まで
残してくれていたのかもしれない・・・

カーチャンの枕の下には動物園の写真があった。
その写真のネガはもうなく、動物園に行った時の
たった1枚の写真だった。
漏れは棺おけの中に動物園の写真を入れた。





     タケシ、お弁当食べよっか?

              J( 'ー`)し     ウン!!
               (  )\(∀` ).
               │|  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

438 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:51:05.18 ID:YnXAOjzP0
247 名前:イラストに騙された名無しさん[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 01:24:13 ID:PyGI9pet
ちょい昔だが、結婚式でなら俺もラノベっぽい話がある

俺の結婚式で死んだはずの親友からご祝儀貰った
それも五十万
あの時はマジで焦って、怖くはなかったけどなんとも言えない気分になった

後日真相を知った俺は親友の墓参りに行って、墓石の前に親友が好きだったタバコ置いて
ちょっとだけ泣いた

真相は混乱するから、次に書く

440 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:51:33.20 ID:YnXAOjzP0
248 名前:イラストに騙された名無しさん[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 01:43:05 ID:PyGI9pet
で、真相なんだが

結局の所、親友の幽霊とかそういうオチじゃなかった
もう一人の親友がいて、そいつが変装して、ご祝儀をくれたらしい
死んだ親友をAとして、生きてるほうをBと呼ぶな

Aはいわゆるエリートでさ、同期の奴らの中では一番いい会社に入った
Bと俺は普通の会社で、みんなラノベというか読書仲間だったんだ
てか、嫁さんも読書好きがこうじて知り合った

で、だ
社会人になってやっぱ時間が合わないんだよ、Aだけ
夜遅くまで仕事して、休日なんか一ヶ月に二日あればいい方だった
Bは普通に生活してて、俺は嫁さんと付き合い続けててさ
一年くらいたって仕事とかにもようやく慣れてきてな、プロポーズしたんだ、嫁さんに
喜んで受けてくれたよプロポーズ

親友二人には言ってあったから、向こうも自分のことのように喜んでくれた
もう三人で遊ぶ時間もなくなってたけど、スゲー嬉しかった
んで、結婚式の日取りやらなんやらで慌しくしてる頃
Aが自殺したって聞かされた

442 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:52:43.11 ID:YnXAOjzP0
249 名前:イラストに騙された名無しさん[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 02:01:17 ID:PyGI9pet
おいおい嘘だろって感じなんだけどな、ホントに
うつ病だったらしく、なんつか突発的に首を吊ったんだとさ
そう聞いたよ

でもって葬式だとか式場のキャンセルしたらもう結婚式挙げられないとかで
Aには悪いと思ったけど、葬式の少し後に結婚式を挙げた
結局、Aからの返信手紙は来なかった

式中にBがな、慌てて言ってきたんだ
「Aが来た」って
見に行ってみると確かに名前があって、ご祝儀袋が置いてあった

係の人に聞くとご祝儀置いたらすぐに帰ったって

で話は本題に入って、生前のAがBに自分になんかあったら頼むって言ってたらしい
なんとなくは自分の状態がわかってたようだ
仕事の忙しさとか人間関係で悩んでたとも言ってた
俺には心配させたくない、結婚する奴には教える必要なんかないってさ

で背格好の似てるBがサングラスとカツラで来たって訳らしい
何でかBに聞くと
「Aも行きたがってたんだよ結婚式」
と教えてくれて、返信手紙を見せてくれた
丸してあったよ出席のトコ
Bに感謝して、トイレで泣いた
今思うけど、ちょっとは頼って欲しかった
親友だったじゃないかと思ってる
でも、ホントに嬉しかった
長くなったけど、信じる信じないは任せる 長文スマン

456 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 22:59:07.48 ID:0SnjtdHH0
母ちゃんはジャスコとか行って、自分の洋服代を切り詰めて
息子に洋服を買ってあげようと思って一生懸命選んでくるんだよね。

で、自分の洋服は「またの機会でいいわね」
とか思って、息子の洋服とお父さんの替えの下着だけを買って帰ってくる。

でも、その買ってきた洋服に息子は、ブゼンとした態度をとったり、
時には、その洋服を投げつけたりするんだよね。

そんな態度をとっても母ちゃんは怒ったりしない。
「レシートがあるから返品利くかしら」なんて言ってのけたりして。
でも、影ではホロリと涙がこぼれてるのかもしれない・・・

そんな次の日の朝でも、母ちゃんは朝早く起きて息子の弁当と朝食を作る。
息子は寝坊で出された朝食には手をつけず、弁当だけを持って学校へ行く。
それでも母ちゃんは「いってらっしゃい」の言葉。

そんな母ちゃんだけど、体はあんまり良くないんだよね・・・
そして、こんな母ちゃんの有り難味が分かる頃には、母ちゃんはもう・・・

458 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:00:13.81 ID:0SnjtdHH0
明日は、、、3月17日か、、、
母親の命日だ。

あれから、、、10年経ったんだな〜
あの時、大学生だった俺は、就職して、、
今は、結婚して子供も2人いる。
出来れば、嫁と2人の娘をを見てもらいたかった・・・・・

今も覚えている、、、病院のベットで、、(末期ガンでした、、)
母親の最後の言葉、、、、

J( 'ー`)し 「かあちゃん、少し寝るね。」

 ('A`)  「うん、、おやすみ、、」

これが、俺と母親が交わした最後の言葉だった。

471 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:04:23.29 ID:0SnjtdHH0
俺の実家は阪神淡路大震災の直撃を受けた。
後に聞いた話で、家の崩壊まで10分ほど時間があったそうなのだが、
その間父は逃げ延び、祖母は自室で絶命し、母親は生き埋めになった。
俺と妹は運良く上京しており、被災から3日目には掘り起こしを手伝っていた。
泥まみれの母親を初めに発見したのは俺だった。その時足は骨折していたが、
身動きが取れない中、ボロ雑巾のようなものを握り締めて放さないでいた。
俺が小学校の時に描いた、お絵かきコンクールで銀賞を取った絵だった。
自分では記憶にすら残っていなかったその絵が、
母親にとっては自分の息子を誇る最も大切な宝物だったらしい。
危機に直面した土壇場で、身の安全やお金よりも、息子の絵の事を考えたんだそうだ。

大学に殆ど顔も出さず退学寸前だった俺は、
その日から勉強に励み、5年掛けて大学を卒業した。

当時は後ろめたかったけど、今では胸張って叱ってあげられる。
「今度地震があったら、自分の命を一番に考えろよ」って。
母さん、長生きして下さい。

476 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:05:44.62 ID:0SnjtdHH0
漏れが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな〜い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。

2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。

480 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:06:06.30 ID:0SnjtdHH0
「知らねーよ。眠いんだから出て行け」

と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて

「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」

といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。

朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。


それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、漏れは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。

母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。

誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…

503 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:11:39.52 ID:0SnjtdHH0
「あなたの中の最良のものを  by マザー・テレサ」

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

カーチャンに善い行いをされても次の日には忘れてました。カーチャンがおれのために作り上げたものを壊してしまいました。
カーチャンに助けて貰っても恩知らずの仕打ちをしてました。カーチャンがくれた最良のものを蹴り返していました。
それでもカーチャンは気にすることなく、最良のものを与えつづけてくれました。ありがとう。カーチャン。

509 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:13:27.96 ID:0SnjtdHH0
41 :名無し物書き@推敲中?:04/02/09 19:34
前の会社で働いていた頃 母親からこずかい毎月一万ほどせびられた
一人暮らしの俺にとってはつらかった 払わないと「親不孝者」、「バカ息子」など
罵倒の嵐 この糞ババア いつかマジで殺してやると呪った事もあった
しかし 中学時代 グレて散々迷惑をかけた手前 半ばあきらめていた事もあった 
 やがて俺が社会に働きに出て数年後 おふくろは死んだ その時 通夜の席で親戚に
一冊の預金通帳を渡された 額は100万程度 聞けば俺の浪費癖を心配したおふくろが
毎月俺からせびっていたお金を毎月積み立ててくれたものらしい
 それを聞いた時、俺は号泣して泣いた 
金を請求されるという表向きの事にとらわれ
なぜおふくろが金を請求するのかという事を
考えもしなかった自分自身が誰よりも許せなかった
母親が死んだ当時、俺は会社をリストラされ貯金も無く
失意のどん底だったが この100万円のおかげでホームレスにはならなくて済んだ
今でも駄目なリーマンには
変わりはないが、つらい時はこの事を思い出して頑張れてる
今さらだけど・・・・・。
お母さん・・・・・・。ありがとう・・・・・。

518 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:16:22.20 ID:0SnjtdHH0
そう言えばこんな事もあったな。思い出した・・・
その数年後、近所で電気屋が開店するんで開店の目玉商品にPC98があった。
Win3.1搭載。キャンビーだった。8万円。
カーチャンに買って貰った40万の98では既に最新ゲームを遊ぶのはスペック不足だったので、
カーチャンにせがんで朝っぱらから並んで買ってきて貰った。お金も出してくれた。
買ってきても俺がゲームするだけなのに。

ごめんよカーチャン・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

その数年後、40万で買った98をソフマップに売りに行ったんだ。
もうWindows95が世の中に浸透していた頃だった。買い取り価格8千円だった。
その8千円でゲームを買って帰ってカーチャンに買い取り価格を報告したら、
何とも言えない顔をしていたな。例えようがない顔。
買ってきたゲームを見てやりすぎちゃ駄目よ。と言っていた。

ごめんよ。・゚・(ノД`)・゚・。

520 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:18:02.50 ID:0SnjtdHH0
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

532 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/26(金) 23:24:23.87 ID:0SnjtdHH0
今から10年前。小学校の修学旅行前日の夜にお菓子を買い忘れたんだ。
それで、カーチャンが「お菓子いらないの」って言うから「別にいらないよ」って答えたんだ。
翌日、旅行先でバックを開けた。そしたら、お菓子が入ってる。良く考えたら、夜中に鍵を開けて出て行く音がしてた。
てっきり酔っ払いの親父か帰って来たのかなって思ってたんだけど違ったんだ。
カーチャンがわざわさ夜遅くにコンビニ行ってお菓子を買って来てくれたんだよ。それをこっそりバックの中に入れてくれてた。

自分の子が恥をかかないようにしてくれたんだな。

他にも色々あるけどいっぱい有り過ぎて書けない。
とにかくありがとう、カーチャン。

568 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 00:01:57.97 ID:/1H0ahKT0
僕の通っていた高校には、合唱コンクールがあった。
高校2年の時の課題曲は「河口」だった。
歳は70を過ぎていたけど、気持ちの若い祖母が見学に行くと言うので、
何度か譜面の歌詞を口ずさんでやっていると、きまって
いい歌ねえ、とうっとりしていた。クラスじゃあんまり人気ないよ、と笑うと
「まだあんた達には分かんないわヨ」と目を細めていた。

合唱コンの3週間前に祖母が亡くなった。冬一番の木枯らしが吹いた夜、こたつの中で
うとうとしながら死んだ。
最初は泣いていた父も、葬式では親戚と祖母の思い出話で爆笑していた。
あっけらかんとして、祖母に似合う明るい葬式だった。

合唱コンの本番まで一週間を切った頃。クラスの女子がffは怒鳴るのではないということを
説明するのに骨を折っていた。その時疲れ果てて言った言葉が、なんとなく頭の片隅に残った。
「これは、人の死を歌った曲なのに」

あっという間にカレンダーはめくられて、本番直前、僕は頭のうちで彼女の言葉をくり返していた。
押し出されるようにしてステージに上がり、広いホールではじめて自分達の歌声を聞いた。
最初は、大きな声で。イチ・ニイ・サン…

フィナーレを、フィナーレを、こんなにはっきり予想して
河は、河は、大きくなる
フィナーレを、フィナーレを、華やかに飾りながら
河は、河は、大きくなる
…さようなら、さようなら。河は歌うさようなら。
紅の、ああ紅のハゼの葉。楠の木陰。白い工場の群れよ。
さようなら、さようなら。河は歌うさようなら…

祖母が、ホールの後ろで手を振った気がした。視界は霞んでいたけれど。

574 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 00:11:59.88 ID:DAV9C5Pz0
あなたは家族思いの良い子です。言葉遣いは汚いけど、それが照れ隠しなんてお母さんはちゃんと知っているんだからね。だてにあなたを23年間も育ててきた訳じゃないんだから。あなたとナミは私達の自慢の子供です。
あなたもいずれ親になって分かると思います。自分の子供がどんなにかわいくて仕方ないか、絶対に分かる日が来ます。お父さんが頑張って働くのも、お母さんがご飯を一生懸命に作るのも、
あなたたちがかわいいから。あなたたちを愛しているから。あなたたちと幸せを創り上げたいから。それが親心だよ。アツシも絶対に分かるはずだよ。
けど、お母さん、子供孝行出来てないよね。あと三ヶ月の間に出来る事って何かを考えたんだけど、お母さんバカだから分からないや。ごめんね。
だから、この手紙はあなたたちに謝りたくて、今こうして書いているの。
無責任な親だね、無責任なお母さんだね。ごめんね、お母さん無責任で。
アツシ、お母さんの子供で幸せでしたか?
お母さん、自信がないな。お母さんなりに頑張ってきたつもりだけど、自信ないよ。
だから、この手紙を読んだら、素直にお母さんに言って。
お母さんの息子で幸せだったか、素直に言って。
もし、幸せだったなら、お母さんもっと頑張っちゃう。
もし、幸せじゃなかったんなら、お母さんもっともっと頑張っちゃう。
大好きなあなたたちの為に、お母さんは頑張るよ。エイエイオーって頑張るよ。
あなたたちを授かって良かった。本当に良かった。
お母さんは幸せ者だね。幸せすぎるね。

591 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 00:29:48.21 ID:J3hv+2CFO
畑で作業中、何処からか子猫の鳴き声が聞こえて来た
鳴き声のする方へ草を掻き分けて行くと、生後一月足らずの小さな子猫がいた
顔は目やにで汚れ、ガタガタ震えていたが俺と目が合うと生意気にも威嚇してきやがった
ポケットにあった魚肉ソーセージをやると唸りながらかぶりついてきて離さなかった
家は県営住宅でペットが飼えないので畑で飼うことにした。名前はチビにした
タオルで目やにを取ってやり、小屋の中に寝床を作ってその日は帰った
次の日、畑に行くとチビはダンボール箱を抜け出して小屋の隅で丸くなって寝ていた
昨日は威嚇してきたのに餌を貰うともう懐いて足下をチョロチョロついて来るようになった
うっかり蹴っ飛ばしてしまうと危ないので小屋の外に繋いでいると、カラスに襲われていた
離すのも危ないので肩に乗せていたら気に入ったようでおとなしくなった
そのうち俺が畑に来ると自分からよじ登ってくるようになった
すっかり懐いたのに餌のときだけは唸りながら食べて、手を出すと引っ掻いてきた
餌を食べ終わると肩に登ってきて毛繕いをした。自分の毛繕いが終わると俺の頭も毛繕いしてくれた
チビと会って一ヵ月程経ったある日、草の中に隠れてるチビに気付かずに踏ん付けてしまった
焦って病院に連れて行こうとしたが、平気な顔で動き回って餌も食べたので安心して病院に連れて行かなかった
次の日、畑に来るとチビは冷たくなって死んでいた
俺は死ぬ程後悔した。何故あの時病院に行かなかったのか?チビは俺と会って良かったのか?今でも考える

605 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 01:07:26.05 ID:RhHa81mJ0
そういえばふと考えるとさ。

俺の母親は自分の服や鞄は全く買わないんだ。化粧もしない。
昔は「女なんだから少しは気使えよ!」って思ったけどさ。
そうじゃないんだよな。
自分の物買うより家族の物を買ってたんだよな。
子供の服や文房具代や生活費や。

食事もそうだ。そういえば好きな食べ物なんて知らないんだ。
俺達(子供)が欲しがったら全部くれるんだ。
「いいのよ。全部食べなさい」って。

母親の好きな食べ物ってなんだろう。
明日聞いて買いに行こうと思う。

609 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 01:17:11.75 ID:RDZJKvqrO
中学生の頃に猫を飼った。
家族みんなが(特に母が)黒猫が好きで、満場一致で知り合いから黒子猫を貰った。
名前はクロ。何の捻りもないとか言うな。
最初は心許無い足取りで家をうろついてたクロも数か月もしない内にドタドタと階段を走り回るようになって我が家は賑やかになった。
雀を捕まえようと家の壁に張り付いて降りられなくなったりするバカだったけど、落ち込んだりすると寄り添って寝てくれるいい奴。


俺も高校生になりクロもすっかり大人になったなって実感した頃に、お袋が検査入院した。
その日はお袋からこっぴどく叱られ、帰り辛いなとか思ってた日だった。
帰って来たお袋は笑ってた。でも、クロはお袋の側を片時も離れない。問い質したら、やっぱり病気だった。癌だった。

お袋は入退院、転院を繰り返してた。そしたらあっという間に癌は転移した。クロも片時もお袋から離れようとしなかったっけか。

心のどっかで大丈夫だと思い込んでたら、今度はクロが癌になりやがった。
鼻筋に腫れ上がった傷が出来て餌食うのも歩くのも辛そうなのに、たまに自宅療養が許されたお袋が帰ってくると寄り添って離れない。
でさ、同じ日に仲良く末期告知とか有り得ないだろ。

610 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 01:18:30.93 ID:RDZJKvqrO
しり辛いなとか思ってた日だった。
帰って来たお袋は笑ってた。でも、クロはお袋の側を片時も離れない。問い質したら、やっぱり病気だった。癌だった。

お袋は入退院、転院を繰り返してた。そしたらあっという間に癌は転移した。クロも片時もお袋から離れようとしなかったっけか。

心のどっかで大丈夫だと思い込んでたら、今度はクロが癌になりやがった。
鼻筋に腫れ上がった傷が出来て餌食うのも歩くのも辛そうなのに、たまに自宅療養が許されたお袋が帰ってくると寄り添って離れない。
でさ、同じ日に仲良く末期告知とか有り得ないだろ。
かもクロは動物病院から逃げ出すしホント勘弁してくれと。
それから二ヵ月が過ぎた。
クロにべったりだったお袋は急激に衰弱していった。なのにも拘らず入院を嫌ってウチでギリギリまで療養するとか言ってるし。足首だって俺の手首くらいになってた。

で、お袋の自宅療養が認められた最後の日。
「居る」ってお袋がイミフな一言。何が?
玄関を指差したから行ってみたら、鼻筋に傷がある薄汚れた黒猫が一匹。
オイオイ、マジかよ。
動物病院から10kmは離れてるんだぞ、犬じゃあるまいし何で帰って来れたんだよ?都合良過ぎじゃないか?
で、クロは俺をスルーしてお袋の元に。
ホントは動物とかダメなんだろうけどさ、引きはがせなかったよ。だってお袋泣いて喜んでるし、俺も泣いてて力出なかったし。


………結局、お袋は亡くなった。
大晦日のことだったから葬儀は年明け三が日以降ってことでそれまで遺体は自宅で安置、保冷剤で冷やして。

611 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 01:24:43.19 ID:RDZJKvqrO
でさ、年明けの糞寒い中なのにクロの奴、離れないんだよ。キンキンに冷えたお袋が寝かされた布団で一緒に寝てんの。
俺が「もういいから!」って泣きながら何度布団から引きはがしてもダメ、意地でも離れようとしないのな。
なんだよ、俺より息子らしいことしてんじゃねぇよ、ちくしょう。

葬儀も無事に終わって百ヶ日の法要でお袋の実家に行ったその日に、自宅に居た姉貴の膝の上でクロは逝った。
姉貴もお袋にべったりだったし亡くなったショックは誰より強かった、だからクロは姉貴に寄り添ってたんだと思う。

帰って来たらまるで、自分の役目は終わったとか言わんばかり満足そうに寝てんのな。揺すったら起きるんじゃねぇの? と思って触ったら身体は冷えきってた。
なんだよ、どうすんだよ、この三か月分の餌。
少なくともお前が生きてけるって言われた分買って来たんだぞ。
たまには俺の布団に来いよ、寝相良くするからさ。
頼むから目ぇ覚ませよ。
でも、その満足そうに寝てる姿を見たら、もう俺は心配無いなって思ったんだろうね。
少し寂しかったけど、これ以上辛い思いさせちゃダメだよな。


末っ子だった俺の可愛い弟は今でも家の庭で寝てるよ。
今度はお前がゆっくりと寝てていいように、俺、頑張るからさ。

おやすみ、クロ。

613 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 01:36:25.12 ID:eKZcZPld0
ブワ

614 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 01:36:26.07 ID:mITF5GebO
カーチャン。俺は知っています。家には借金があるんだね

カーチャン。俺は知っています。俺のために無理してるんだろ


「何を言ってるのwカーチャン、ちゃんと働いてみたかったのよ?
毎日、楽しく好きなことしてお金が貰えるの…カーチャンは幸せ者ねw」


カーチャン、無理して笑わないで。自分の寝言に気付いてるかい?

「すみません。…申し訳ありません……どうして……」

眠りながら涙ながして、必死に謝ってる。働き始めてからだね
職場でイジメにあってるんだ。それなのに毎朝、笑って仕事に向かう


悔しかったよ。自分のふがいなさに号泣した。

カーチャン待ってて。もうちょっとで俺も働けるようになるよ

カーチャン待ってて。もうちょっとでカーチャンを守れるようになるよ

カーチャンを世界で一番シアワセなカーチャンにしてみせる

カーチャンの口癖。「自慢の息子」に恥じない男になるから

カーチャン。待ってて
カーチャン。大好きだよ
カーチャン。ありがとう

633 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 02:35:52.40 ID:z23SLYfc0
成人式の為に買ってもらったスーツを着て
かっこいいと言われ、何枚も写真を取られ
車で会場まで送ってもらい
「友達と飲むだろうけど、イッキなんてしたらいかんよ?
 遅くなるだろうから気をつけて帰ってらっしゃい」
そう言われた後一人で会場を一周し、中に入ることが出来ず
友達と飲みに行くことになっている手前、そのまま帰ることも出来ず
夜まで時間つぶすためにその足でスロット店へ行き
親からもらったお年玉を使い切るのに2時間も持たず
銀行から下ろした8万も消え
どうしようもなくなって、夕方頃に家に帰り
人が多すぎて友達と会えなかったと言う俺に
母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもの作らなきゃねと言い
俺は震えて声も出せないほど泣いた

638 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 02:57:26.06 ID:uX0na0ncO
携帯でエロ動画や同人誌見る奴って何なの?

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/10/02(火) 11:25:58.63 ID:9TF55UfS0 [sage]
この世で4番目くらいに無駄な行動だと思う

2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/10/02(火) 11:28:37.92 ID:ixzrS0VM0 [sage]
VIPを見るのは三番目に無駄な行為

3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/10/02(火) 11:29:25.44 ID:GTEQ4js60
彼女も友達も居ないのに生きるのは2番目に無駄な行為

4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/10/02(火) 11:33:21.27 ID:0QxyfbouO [sage]
今生きてるのが一番の駄目な行為

5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/10/02(火) 11:33:55.80 ID:PCWmnQPBO
それでもぼくらは生きている

646 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 03:26:00.94 ID:yDrhmpac0
若い兄ちゃんが携帯をいじっていた。
隣にばあちゃんがいて、ばあちゃんは「医療機器使ってるから電源切ってください」と言った。

その男は「来たメールを読んでるだけだから」と言って、いじるのを止めない。隣のリーマンが
「今は読んでるだけでも読んでるうちにメールが来るかもしれないだろ。切りなさい」と言った。
兄ちゃん、怒り狂った口調で「ああ?!!」
逆切れだ!リーマンやばいぞ!(兄ちゃんはかなりいいガタイ)

見てる人が皆そう思ったとき、兄ちゃんは携帯をリーマンに突きつけながら言った。
「見ろよ!俺に来た最後のメールは4ヶ月前だ!それ以来誰も送ってこないんだよ!
今更誰が送って来るんだよ!!!俺から送る相手もいないんだよ!!!」

みんな黙り込んだ。しかしその中に一人だけ、
無愛想な顔をして彼に近付く若い女がいた。
彼女は男から携帯を奪い取ると何か操作をして、再度男に突き返した。

男が呆然としていると、女は自分の携帯をいじり始めた。
しばらくして、男の携帯が鳴った。
男は目を見開いてぱちぱちさせながら携帯を見た。

もうね、多分みんな心の中で泣いてた。男も泣いてた。
世界は愛によって回っているんだと実感した。

ばあちゃんは死んだ。

705 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 11:05:25.55 ID:TxfOfv6t0
saga2
今日初めて見たが
もう普通にプレイできねえTT

706 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 11:07:35.50 ID:ZzC2L1ClO
おまえらみたいに昼間から2ちゃんやってるやつってなんなの?
自宅警備とか言うならちゃんと警備しろよ。
まじでさ、ちゃんと警備しろよ。

自分の部屋にパソコンなんか置くから引き込もるんだよ。
引き込もるから家の異変にも気が付かないんだよ。
なんで2ちゃんなんか見てんの?やるべきこと他にあるでしょ?
ばあちゃんが倒れてたのに気付かなくてずっと2ちゃんやってるような奴は死ねばいいよ。
「若い人は何が好きか分からないから…毎回こればっかりでごめんね」って渡されたオムライスを鼻で笑って、部屋で食べて
皿戻しにいったらばあちゃんうずくまってるんだもん。

脳卒中だって。
朝から頭痛いって言ってたの何も聞かないで気にしないでパソコン見て笑って
ホントばかだよ。
救急車で手握っても反応なくてさ、名前呼んでも答えないし。
もっと早く気付いてたら、ってもっと早く病院に連れて行ったらって、何度も思っても遅いんだよ。

ばあちゃん、近所の人に俺は家事を手伝ってくれるいい子だって言ってたらしい。
ただ親に怒られないように最低限の免罪符としてやってただけなのに。

ばあちゃん、ホントごめんな。
オムライス大好きなんだ。分かってて毎回作ってくれてたんだよな。
ばあちゃんの作るオムライスしか食えないって言ったら笑顔でありがとうって言ってくれたっけ。
それしかお礼言えてないよ。

ごめんな。ホントごめん。
俺、ちゃんと働くよ。

もう明日から2ちゃんも見ない。
明日から。

725 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 11:51:34.93 ID:UIPjKzqw0
1985年湾岸戦争勃発、このときフセイン大統領は
「今から48時間後いかなる飛行機でもイラク上空を飛行するものは打ち落とす」と声明を発表しました。
各国とも自国の大使館員や自国系企業の民間人等を救出すべく、
民間機や空軍の輸送機をイラクに飛ばし出国させました。
一方日本は自衛隊機は法的規制があり飛ばせない、民間機は危険すぎて飛ばせない。そんな対応でした。

タイムリミットまで残り1時間15分

トルコ国籍の飛行機が日本人救出のためバクダットに降り立ちました。
結果無事にイラク在住の日本人は救出されました。
何故、トルコは日本人を救ってくれたのでしょうか?

明治22年にトルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で暴風雨に遭い座礁しました。
587名が死亡、生存者69名という大惨事でした。
この時暴風雨の危険を顧みず地元串本町の漁師や住民が懸命の救出活動を繰り広げ、
生存者を介抱し死亡者を手厚く弔った。
そして明治天皇の命により生存者は日本の軍艦2隻で母国トルコに送還された
トルコ側はこの一連の日本及び日本人の行為に大いに感謝した。
当時は「他国の不幸は自国の幸福」といわれた帝国主義真っ只中の世界情勢の中で、
この行為は日本の誠実さを世界に知らしめる事となった。

湾岸戦争時の駐日トルコ大使ネジャッティ氏曰く
「エルトゥールル号遭難はトルコの歴史教科書に掲載されている。
 子供でも知らないものはいない。だから当たり前の恩返しをしただけ」
とのことです。

760 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:29:43.73 ID:1swX5CU70
エルトゥールル号事件のこと
(国民同胞平成10年3月号より転載)
占部賢志(福岡県、高校教諭)

■1.テへランに孤立した邦人■

 昭和60(1985)年3月18日の朝日新聞朝刊に「イラン上空
飛行すれば攻撃/イラクが民間機に警告」という見出しが躍った。
当時はイラン・イラク戦争(1980-1988)の真っ只中であり、長
びく戦闘にしびれを切らしたイラクのサダム・フセインは、つい
に総攻撃体制に入ったのである。

 その一環として、あろうことか、テへラン上空を航行する航空
機はいづれの国のものであろうと撃墜するという方針に出たので
ある。期限は日本時間の3月20日午後2時。

 明けて19日の朝刊トップは「邦人に動揺広がる/脱出路探し
に必死」と大書。外国航空の特別便が一部運航することにはなっ
たものの、自国民優先のため日本人ははじき出されてしまい、邦
人一行の不安におののくさまを伝えた。

 外務省は救援機派遣を日本航空に依頼したが、 「帰る際の安
全が保障されない」として日本航空側はイラン乗り入れを断念し
たという。事態はますます深刻度を増した。同日タ刊には「テへ
ラン 邦人300人以上待機」という見出しを掲げ、現地に釘付
けとなった邦人の孤立状況が続報された。

761 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:30:10.13 ID:1swX5CU70
■2.日本・トルコ関係史に無知な朝日■

 こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊
に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215
人」という朗報が載った。

 何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出
してくれたのである。

 まさに間一髪であった。掲載された写真には無事脱出できた子
供たちを含む邦人家族の喜びの顔が写っている。

 さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を
冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対
して朝日新聞の記事はこうである。

 すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化している
こと」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いてお
しまいなのである。

 自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには
歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知ら
ないだけである。

 無知だけならまだしも、金目当ての行為であったかのように書
くとは冒涜もはなはだしい。トルコは長いあいだ日本に対する親
愛の情を育ててきた国である。

762 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:30:30.26 ID:1swX5CU70
■3.駐日トルコ大使のコラム■

 その証左として、昨(平成9)年一月の産経新聞に載った駐日
トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏のコラムを紹介する。

 これを読むだけでも、トルコが何故日本に親愛の情を寄せるに
至ったかの消息が明らかになろう。それは日露戦争をさらに遡る
明治二十三年の出来事に端を発している。

 勤勉な国民、原爆被爆国。若いころ、私はこんなイメージを
日本に対して持っていた。中でも一番先に思い浮かべるのは軍
艦エルトゥルル号だ。1887年に皇族がオスマン帝国(現ト
ルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルトゥルル号は初の
トルコ使節団を乗せ、横浜港に入港した。三ヵ月後、両国の友
好を深めたあと、エルトゥルル号は日本を離れたが、台風に遭
い和歌山県の串本沖で沈没してしまった。

 悲劇ではあったが、この事故は日本との民間レべルの友好関
係の始まりでもあった。この時、乗組員中600人近くが死亡
した。しかし、約70人は地元民に救助された。手厚い看護を
受け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日
本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近
の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、私も
幼いころに学校で学んだ。子供でさえ知らない者はいないほど
歴史上重要な出来事だ。

 ここに挙げられたエルトゥールル号遭難に際して、台風直撃を
受けながらも約70人のトルコ人を救助した地元民とは、和歌山
県沖に浮かぶ大島の村民である。

763 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:31:06.23 ID:1swX5CU70
■4.島民挙げての救援活動■

 当時、通信機関も救助機関もない離島のこととて、救助は至難
を極めたという。怒涛に揉まれ、岩礁にさいなまれ、瀕死のトル
コ人達に対して、大島村民は村長沖周の指揮のもと、人肌で温め
精魂の限りを尽くして救助に当たった。

 さらには非常事態に備えて貯えていた甘藷や鶏などの食糧の一
切を提供して精をつけ、彼らの生命の回復に努めたのである。

 この事件の詳細な消息は、陣頭指揮をとった沖村長がみずから
まとめた「土耳其軍艦アルトグラー號難事取扱二係ル日記」に克
明に記されている。知る人も知ろうとする人も少ないだけである。

 ちなみに、エルトゥールル号遭難4年前の明治19(1886)年に
は、同じく紀州沖でイギリス貨物船ノルマントン号事件が起こっ
ている。こちらの方は現在も小中高の歴史教科書に掲載されてい
て、多くの子供たちも周知の史実である。
 難破して沈没する船を放置して船長のドレイク以下外国人船員
は全員がボートで脱出、乗り合わせていた日本人乗客25名は見
捨てられ、全員船中に取り残されて溺死するという無残な結末と
なった。
 にもかかわらず、領事裁判権を持つイギリス領事は船長に無罪
判決を下した。のち日本政府は船長を殺人罪で告訴したが、3ヵ
月の禁鍋程度で賠償は一切却下。まさに不平等条約の非情さを天
下に知らしめた事件である。
 それからまもなくエルトゥールル号の遭難事件は起こった。大
島の村民もノルマントン号事件に見られた残酷な仕打ちは知って
いたであろう。それでも前述のように異国の人々の救助に献身し
たのである。

764 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:31:28.31 ID:1swX5CU70
■5.明治日本人のオープンマインド■

 いったいこの精神の高さはどこから来るのか。この点に関して、
トルコ大使に就任した遠山敦子氏と東京大学教授の山内昌之氏は、
こう述べている。 (中央公論社「世界の歴史」第二十巻月報)

山内: 明治時代の初等教育の普及率は大変な高さですね。小
学校の就学率は、明治30年代で90パーセントを突破します。
1891(明治24)年には非識字者は26.6パーセントでした
が、明治の最後の年になると字が読めない人の率は2.9パー
セントに低下しています。 (中略)これが明治日本の成功の
大きな理由だと思います。そして、そこにエルトゥールル号救
助の際の献身的な行為が生み出されてくる。

遠山: そのとき、救助にあたった村民たちがエルトゥールル
号の乗組員を人肌で温めて蘇生させたとか、村中の二ワトリを
かき集めてご馳走したとか、エルトゥールル号事件には、私は
大変感動しておりまして・・・。言葉は通じないけれど、1890
年にすでに日本の国民は、地方でもオープンマインドをもって
いて、いざというときには人類愛というか人間愛を発揮できた
んですね。

765 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:31:47.49 ID:1swX5CU70

山内: そこに困っている人たちがいる、遭難している人たち
がいたら助ける、そこに理屈は何もない。この無償の行為に強
く心がうたれますね。やはり初等教育の普及といったことが背
景にあって、知らず知らずに人間愛が生まれてくる。これがや
はり文明というものだと思います。

 この対談で山内氏は初等教育の普及が育んだ人間愛について言
及しているが、たしかに沖村長とともに救援活動に最も功労があ
ったと言われる樫野区長の斉藤半右ヱ門は、当時樫野小学校創立
期の学務委員として初等教育確立に尽カした人物である。救援活
動の過労と心労のためか翌年死去したが、誠実な人であったとい
う。

 ただし、筆者は近代教育が与えた影響は否定しないが、むしろ
側隠の情は近代以前から地下水のごとく育まれていたと見るべき
ではないかと想像する。そうした精神的基盤があったればこそ、
わが国の近代初等教育に生命が宿ったと見る者である。


766 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 13:32:13.88 ID:1swX5CU70
■6.「当然のことをしたまでです」■

 いずれにせよ、一世紀を経た昭和60年に身の危険をも顧みず
トルコがテへランに孤立した日本人を救出したのは、エルトゥー
ルル号事件に対する恩義を背景として培われた親日の行為だった
と見てはじめて得心がゆく。

 じつは、このエルトゥールル号事件のことを授業の教材にすべ
く、昨年七月にトルコ大使館から貴重な資料を送っていただいた。

 その際、邦人救出に対して感謝の旨を伝えると、大使は通訳を
通じて「いやぁ大したことではありません。当然のことをしたま
でですよ」とこともなげに謙遜されたが、忘れ難い言葉である。

 かくてこれらの資料のほか和歌山県の串本町や、この事件の顛
末を調査研究された和歌山県立串本高校の森修先生(故人)の遺
族の方などから送っていただいた資料をもとに、昨秋「日本・ト
ルコ関係史−エルトゥールル号事件の顛末−」と題する主題学習
にこぎつけることができた。

 今どきの高校生であっても、こうした史実に学ぶと、例えば
「明治の人々は、見ず知らずの外国人に広く優しい心で接してい
る。トルコの人も今も変わらず日本人を思っていてくれてジーン
とした」と率直な感動を示すものである。

 一方、経済援助に対する見返り行為だと憶断する朝日新聞の記
事に対して、「自分が日本人であることが恥ずかしくなった。感
謝することが大事だと思う。経済的にではなく、気持ちで恩返し
したい」と胸のうちを吐露する生徒もゐて頼もしい。

787 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:08:18.56 ID:1swX5CU70
天使│。・_・。)ノ この新聞コラムの「南の島」ってパラオでしょうか?

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

795 :1/7:2007/10/27(土) 14:25:28.46 ID:8/FSs3XQ0
少し長編になるかもしれませんが
最近気持ちの整理もできたので書いてみます。

今から6年前の話です。
僕がまだ10代で、あまり携帯電話は普及してなくて
ポケベル全盛期の時代のことです。

僕はその頃高校を出て働いていたんですけど
2つ年上の女性と付き合っていました。
お互いの親にも会ったりして
僕は結婚する事を信じて疑いませんでした。

毎朝ポケベルに「オハヨウ」とか
「ガンバッテネ」みたいなメッセージのやりとりをしていたのですが、
ある日僕がメッセージを送るのがめんどくさくて送らない日があって、
彼女からもメッセージは送られてきませんでした。
ちょうどその日は給料日で
僕は今日は彼女にメシでもおごろうと
どこに行こうか考えていました。
仕事が1段落つき、昼休みに入り
食事に行こうとした時に僕宛の電話がなりました。
その電話は彼女の交通事故を告げる電話でした。

796 :2/7:2007/10/27(土) 14:26:00.37 ID:8/FSs3XQ0
僕はその電話を置いた後、
しばらく何のことかわからなかったんですが、
「今意識不明だ」という言葉に体中汗ばんだのを覚えています。
すぐに無理やり会社を早退し
彼女が運ばれた病院へ向かいました。
電車の中で「実はたいした事ないんちゃうかな?」
とか自分に都合のいい方にしか考えたくなかったんですが、
「もしかしたら・・」って考えると周りに人がいるのに
ボロボロと涙が出てきて、すごくさみしい気持ちが溢れてきました。

僕が病院に着く頃には、意識が戻っている事を祈りながら
病院まで走っていきました。
彼女の家族に出会い、容態を聞いてみると
彼女は集中治療室に入っている、という事を聞いて
事態の深刻さを悟りました。
外傷はほとんどなく、脳にショックを受けたらしく
まだ意識は戻っていませんでした。

僕はとりあえず会社に彼女の意識が戻るまで休む事を
電話で伝えて病室の前で、意識が戻るのを待つ事にしました。

その日は病院のソファーで、ほとんど眠れずに夜を明かしました。
目の前のストーブで背中は寒かったのに
顔だけがすごく火照っていました。

797 :3/7:2007/10/27(土) 14:26:47.47 ID:8/FSs3XQ0
結局その日は意識が戻る事なく
次の日の朝1番で着替えなどを家にとりに帰りました。
病院に帰ってみると明日手術ができるかどうかが
わかるだろうという、医者からの話があったそうです。
そして5分だけ面会時間がもらえるとの事で、
僕は会いたいような会いたくないような、
複雑な気持ちでしたが、給食当番の時の様な服を着て
彼女に会いに部屋にはいりました。
部屋の中は訳のわからない機械がいっぱいで
その中のベッドの一つに彼女が寝ていました。
まるで眠っているだけの様な顔で
名前を呼べば今すぐにでも起き上がってきそうでした。
手を握ると腕のあたりに、点滴などの管が何本も刺されていて
容態の悪さを物語っているようでした。
それと唇が妙にカラカラになっているのが気になりました。
5分間をいうのは短いもので、
何か話しかけようとしたのですが、
なんとなく周りの目が恥ずかしくて
言葉らしい言葉をかけれませんでした。

798 :4/7:2007/10/27(土) 14:27:12.15 ID:8/FSs3XQ0
顔を見ると眠っているだけに見えるので、
その日は少し気分も落ち着いて
なぜか「絶対大丈夫!」という根拠のない自信でいっぱいでした。
それからは彼女の意識が戻ってからの事ばかり
考えるようになり、頭の手術するんやったら
髪の毛剃らなあかんから、帽子がいるし買いに行こう!
と看病の事を考えて買い物に行く事にしました。
この時僕は目を覚ました彼女を喜ばせる事だけを考えていました。
さっそく帽子を探しに行き、
キャップは似合わんし、ニット帽だとチクチクするから
という事で、綿で出来た帽子を探して買いました。
買い物が済んで、帰ろうとした時に
街中を歩く女の子を見てると、
なんか自分が現実から少しズレた場所にいるような気がして
妙な不安を感じました。
その不安からか、彼女の意識が戻ったら正式にプロポーズしようと
安物ですが指輪まで買って帰りました。

その日も結局容態に変化はなく過ぎていきました。


799 :5/7:2007/10/27(土) 14:27:32.00 ID:8/FSs3XQ0
次の日のお昼前、彼女の父親だけが医者に呼ばれて
病状の説明を受けるとの事だったのですが、
無理を言って僕も同席させてもらいました。
どうしても自分の耳で医者から聞きたかったんです。
多分あれほど緊張した事は今までになかったと思います。
医者の部屋に入って、医者の顔色を見てみると
どっちともとれない無表情な顔をしていました。
医者が口を開いて、簡単な挨拶が終った後喋り出したのですが、
病状はよくなるどころか病院に運ばれた時点で
すでに手遅れでした。
僕はこれを聞いて頭がグラグラして
椅子から落ちないようにする事しか考えれませんでした。
どうやら今治療をしている様に見えるのは、
家族に心の準備をさせる為に
無理やり心臓を動かして、体だけ生かして少しずつ
悪い方向へ持っていくというものでした。

僕は部屋を出て彼女の父親に、家族にはまだ言わないで欲しいと言われ
泣き出しそうなのをこらえて、母親に話かけられても
「用事が出来た」とだけ言い残して、誰もいない場所まで走りました。
街中であれだけ涙を流して大声で泣いたのは初めてでした。

800 :6/7:2007/10/27(土) 14:27:51.42 ID:8/FSs3XQ0
それからちょうど涙が枯れた頃、病院へ戻りできるだけ普通に振舞いました。
その夜、彼女の父親と銭湯へ出かけました。
二人ともほとんど無言で風呂に入り、
話す事といっても関係ないどうしようもない会話ばかりでした。
僕は彼女の父親にはどうしても聞いておきたい事がありました。
僕が彼女と結婚するって言ったら許してくれるかどうかでした。
今考えると絶対に聞くべきではない時に聞いたような気がします。
病院に戻る前に父親を呼び止めて
ストレートには聞けなかったのですが、
買ってきた指輪を彼女の指につけてもいいか?と聞きました。
彼は黙ってうなずくだけでした。
その夜は眠る事ができなくて、家族と顔をあわせると泣いてしまいそうで
外で一人で過ごしました。

次の日また5分だけ面会できるということだったので、
もう1度彼女の顔を見に行きました。
彼女の顔は相変わらず眠っているようで
もう目を覚まさない事がウソのようでした。
僕は彼女の左手にこっそりと指輪とつけました。
もう何の意味もないのはわかっていましたが、
少しでも彼女に近づきたいという気持ちでいっぱいでした。
みんなが部屋を出た後僕は忘れ物をしたそぶりをして
ベッドの側に戻り、彼女のカラカラの唇にキスをしました。

803 :6.5/7:2007/10/27(土) 14:30:26.83 ID:8/FSs3XQ0
それからしばらく経ち、彼女は一般病棟の個室に移ることになりました。
医者が言うにはもう長くないので
少しでも家族が長く一緒に入れるようにとの配慮だそうです。
僕は1日のほとんどをその部屋ですごすようになりました。
何もする事もなかったのですが、
話かけると声が届いてるような気がして
耳元で歌を歌ったり、話し掛けたりしていました。
そして夜が明けて昼すぎになると、医者と看護婦が入ってきて
みんなを呼んでくださいみたいになって、
みんなが見守る中、心拍数を表示しているピッピッってなる
機械に異変が見られるようになりました。
最後まで僕に片方の手を握らせてくれた
彼女の家族に感謝しています。
それから1時間ほど経った後、
そのまま静かに心臓が停止しました。
僕も含め部屋にいる人みんなの泣き声だけが聞こえてきて、
覚悟はしていたものの、本当にこうなった事が信じられなかったのですが、
医者の何時何分とかっていう声に現実に引き戻されました。



804 :7/7:2007/10/27(土) 14:31:04.23 ID:8/FSs3XQ0
そして部屋にいる全員が驚く事が起こりました。
僕が握っていた彼女の手がものすごい力で
僕の手を握り返してきたのです。
僕は本当に驚いて多分変な声を出していたと思います。
しばらくして彼女の手からスーっと力が抜けていきました。
僕は涙はふっとんで、全員にその事を伝えました。
すると彼女の母親が
「きっと一生懸命看病してくれたからありがとうって言ってるんやで」
って言ってくれました。
冷静に考えると死後硬直だったのでしょうけども、
その彼女の母親の一言で僕は今まで道を間違わずにこれたと思います。

年上だった彼女は今では僕の方が年上です。

810 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:40:57.36 ID:oH9M2bwI0
数年前、由佳(当時の彼女)が落ち込んだ様子で電話してきた。「話したいことがあるんだ」 一体何だろう?と思ったが
とりあえず待ち合わせの場所へ向かった。そこで由佳が俺に告げた言葉。「わたし・・・IDDSって病気らしいの・・・」
「ん? 何それ? どんな病気?」 由佳は何も知らない俺に丁寧に説明した。若年性(インシュリン依存型)糖尿病
もうそんなに長く生きれる病気ではない。

それでも由佳と付き合い続けた。俺にとって由佳は初めてと思えるくらい本気で好きになった相手だったし、先々の結婚も考えていた。
彼女を支えてあげたかった。同情とかではなかった。せめて数年でもいいから、由佳の残された時間、由佳と一緒にいたいと思った。
だから俺はプロポーズをした。色々話して、由佳、そしてその両親、そして自分の両親。なんとか説得して俺たちは結婚した。

結婚生活も1年くらいは順調だった。由佳に負担を掛けさせないように彼女は働かず、調子がいい日だけ家事をやったりと、
俺たちは幸せだった。でも病気は由佳の体を徐々に蝕んでいく。由佳は精神的にも追い込まれていった。
憎まれ口を叩いたり、発狂したりすることもある。「何で私ばっかり・・・・・」そうやっていつも二人の言い争いは終わる。
とても優しかった由佳がそうやって壊れていくのが、俺は見るのが辛かった。でも病気だから仕方ないって・・・・・。

811 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:41:30.58 ID:oH9M2bwI0
しばらくたって、俺は休日で家にいた。由佳が買い物に行ってた時に、由佳が持って行くのを忘れた携帯が鳴った。どうやらメールみたいだ。
何気なく携帯を見た俺は由佳の浮気を知る。信じられなかった。本当に許せなかった。俺だってこんなに辛いのに。お前を支えようと必死なのに・・・。

帰ってきた由佳を問い詰めた。でも由佳は黙ったまま何も言わない。俺も頭にきてもう寝ることにした。自分のやってきたきたことが
バカバカしく思えて、由佳を憎いと思った。朝起きると由佳が朝食の準備をしていた。お互い無言のまま食事をすませ俺は会社に向かった。
次の日も、その次の日も由佳は俺に謝らなかった。お互い無言の日々が過ぎる。俺の怒りも段々冷めて、由佳ときちんと話したいと思った。

「由佳、ごめんな・・・。俺、お前を支えようと思って必死だった・・・。お前のことちゃんと見てなかったかもしれない・・・。
寂しい思いをさせたかな? だったら本当にごめん・・・。」
由佳は涙を流しながら「バカ・・・。」と一言言った。俺はその時は自分がバカだったんだと思い、由佳の言ったことが本当はどういう意味なのか気付いてなかった。

812 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:42:01.08 ID:oH9M2bwI0
時間は過ぎて俺たちの結婚生活は元通り、幸せな毎日だった。でもそんな幸せな時間も長くは続くはずがない。
由佳の病状は悪化し、ついには入院することとなる。俺は仕事を夜間の仕事に変え、昼間は時間のある限り、由佳と過ごそうと思った。
頑張って笑顔でいる由佳の前では俺も笑顔になれた。何か由佳にしてあげられることは・・・と俺は必死なって由佳を支えようとした。

しばらくたって、由佳は死んだ。あっさりだった。心が空っぽになるというか・・・なんかね・・・。
誰もいない家に帰ると由佳の思い出がたくさんあるし、由佳の残像、匂い、声、全部覚えていた。嘘みたいだった。
由佳のこと思い出してもないのに涙が出てくる。頭は動いてないのに心だけが動いて涙が出てくる。涙が止まらない・・・。

由佳・・・俺何にもしてあげられなかった・・・。本当にごめん・・・ ごめん・・・ ごめん・・・・・・・・

813 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:42:30.43 ID:oH9M2bwI0
数ヵ月後、俺はこの家を引っ越そうと思った。ここまではダメだと思ったからだ。俺の荷物と、由佳の荷物を整理していると
宛名のない1通の手紙を見つけた。もしかすると由佳が俺に宛てて書いたのかな?と思って、手紙を読んでみた。手紙にはこう記されていた。


前向きな雄介のことだから、私が居なくなっても、また新しい人生を歩んでいると思います。
そういう時にこういう手紙をと迷ったんだけど、やっぱりどうしても伝えたくて手紙を書くことに決めました。

私、あなたが責めた通り、以前浮気していました。でも体の関係があったわけでなく、インターネットで知り合った人に
精神的に支えてもらったのです。私は自分の体を憎んで、自分の運命を憎んで、それでもあなたは本当に優しくて、
私を支えようとしてくれて、それすらも私にとっては辛かったのです。あなたを見ていられなくて、私はあなたに嫌われようとしていました。
だから当時話し相手になってくれた人に相談して、あなたが読んだメールを送ってもらいました。携帯を忘れていったのも
あなたに読ませようとしたんです。

でも、こんな私なのに、こんな私なのに、あなたは許してくれた。涙が止まらなかった。
でも今は最後まであなたと一緒に居れることが本当に幸せだと思います。たぶん私はもうそんなに長く生きれないと思う。
ごめんね。悲しい思いをさせて。だからせめて生きている間は、私もあなたを支えたい。
私は最高に幸せだと思います。今まで本当にありがとう。雄介を心から愛しています。


この手紙を読んだ俺はボロボロに泣き崩れてしまった。自分のバカさ加減を悔しくも思ったが、でもすぐにそんなことはどうでもよくなって、
彼女の気持ちを嬉しく思い、彼女に出会えたこと、最後まで彼女と一緒に過ごせたことに感謝した。

814 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:42:42.64 ID:P8Gy/aux0
父親が発売日にFCの4を買ってきた。
私と弟とで順番にクリアしたあと、父親はなぜかずっと
4章のトルネコの序盤(店でひたすら武器とか売りまくる)を続け、
それだけで5万も6万もゴールドを貯めていた。
思えば父親は2でも全員のLVをMAXまで上げたり
単純作業が好きなのかなと思っていたが
もう、一度クリアしてしまったそれらのゲームで
また私や弟が遊ぶときにキャラが強かったりお金が多いと喜ぶだろうと
それだけのためにちょっとズレた愛情表現をしてくれていたってことがわかった。

私も弟も成人し、実家を離れて生活をしていた頃、父が入院した。
お土産に、なぜか私はGBAとGB版のDQ1&2、そして3を買って持って行った。
父は骨と皮だけになっていた。
私がお土産を渡すととても喜んで、ヒマな入院生活をそれと共に過ごしたらしい。
もう、子供のために単純作業続けなくてもいいんだよ、お父さん。
いっぱい冒険してね、お父さん。
父は普通の食事が喉を通らなくなり、DQ3のパーティにこんな名前を付けた。
勇者コロッケ 武闘家つくね 僧侶とんかつ 商人おでん
「はよ元気になってこれ食べたるねん」と笑う父。
ガリガリに痩せた父の姿を見たのはこれがさいごだった。



今では食べられなかったあのころのカタキをとるかのように
体重も激増!ムチムチ状態で「8まだ出えへんか!」と
電話してくる父です。退院おめでとう。

821 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:54:47.26 ID:/1H0ahKT0
新聞に載ったパラオの話。

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

822 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/10/27(土) 14:56:07.61 ID:/1H0ahKT0
パラオは今でも非常に親日的な国で、今でも子供に日本人名をつけたりしています。

ペリリュー玉砕戦で日本軍は全滅しましたが、ペリリュー島民の中には日本軍とともに
米軍と戦う意志を持った方もいました。
ですが、民間人を犠牲にしてはならぬという判断により、ペリリュー島民の強制疎開を実施したそうです。

日本軍玉砕後にペリリューに戻った島民は、島中に散乱する日本人の遺体を見て非常に悲しみ、放置されていた日本兵の遺体を埋葬してくれたそうです。。

また、ブラッディーノーズの近くにあるペリリュー神社には、
米軍ニミッツ元帥による以下の日英2文が記されています。
「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous
and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
 あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
 此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……」

1994年にパラオはアメリカから独立しました。
独立にあたって「国旗」を制定することになり、国民からデザインのアイデアを募集。
その結果、日本の日の丸を模した今のデザインに決まったのです。



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